映画「寄生獣」改変で物議 フィクションは放射性物質をいかに扱うべきか (4/4ページ)
恐らく被災地の方々、特に「放射性がれきである」という誤解を解くために尽力された方々にとっては、その思いの強さは私の比ではないでしょう。
そんな状況において、いくらフィクションだからといって「受け入れたがれきに本当に大量の放射性物質が付いていた」という展開を見せられるのは本当に堪え難いことで、楽しく映画を観ていたのに理不尽に殴られたような印象です。正直な話、「もしかしたら、制作陣に紛れ込んだ活動家が『放射性がれき』を既成事実化するために『寄生獣』を利用したのでは?」とすら思ったくらいです(後述の監督インタビューで、どうやらそうではないようだ、という考えになりましたが)。
Philip K. Anzugさんの「『寄生獣 完結編』終盤の問題について」より
以上の提言を踏まえて、Philip K. Anzugさんは、放射性物質への科学考証を重視する人や、原発事故の影響を受けている人たちなどにとっても楽しめるように、別バージョンの本編を制作するのかどうか、という提案を行っている。
映画は、エンターテイメントとして感動を呼び起こすほかにも、社会問題を観客に再考させる機会を持たせるチャンスにもなる。
自由な表現を謳歌して観客に感動を与えるとともに、ある程度の現実社会へ向けた知性と配慮は、大衆に向けたエンターテイメントである商業映画にこそ、必要とされるだろう。