【最後に何を残しますか?】なにもかもを忘れてしまうその時に、最後にあなたに残るもの。
いつか自分という存在を形成する、いわばアイデンティティーと呼ばれるものが、すべて無くなってしまうとしたら、 自分はいったいどんな存在になるだろうか。 そういったことが現実に起こりうる、という事実を踏まえて、考えたことはありますか? 本日ご紹介するストーリーは、医学生である著者が書いた、「人に最後に残るもの」のお話。 あなたがなにもかもをなくしてしまうとき、最後に残るものは、残したいものは、なんですか?
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(以下、STORYS.JPより一部転載)
外来で認知症のおばあちゃんを診ました。
「ありがとうね」と「わかるよ」をなんども繰り返していました。
僕の指導医がご家族に、
「惚けちゃってるから手術しても意味がないよ」
と言ったときも、ご家族が撃たれたような顔をしている横で、
「わかるよ」
と繰り返し、繰り返し、つぶやいていました。
息をするのがすこし苦しいような気持ちになりました
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みんな自分だけは惚けないと思って生きている。
あるいは、そんなこと考えない。考えないようにして生きてる。
でも、たぶん、そんなの無理だ。
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人間はなかなかどうしてうまいことできているもので、一定の年齢を過ぎ、さらに年輪を重ねていくと、
いろんなものを失くしていきます。
懐かしいものの記憶、ついさっきの記憶、
好きだったもの、嫌いだったもの。
体力や気力もどんどん失って、今まで歩んできた人生の道も忘れて、
そうして最後に残るのは、その人にとって、「譲れないもの」だそうです。
このおばあちゃんが繰り返し言う「わかるよ」という言葉。
「しっかりしている自分」というアイデンティティーが、おばあちゃんには強く残ったようです。
そして、このストーリーには、もうひとつ別のお話があります。
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(以下、STORYS.JPより一部転載)
医学生も低学年では、介護老人福祉施設(老健)や、
特別養護老人ホーム(特養)で実習をする大学が多い。
僕も2週間ほど、特養で食事や入浴の介助をした。
そこで出会った入居者のおじいさんは、
ここにはとても紹介できないような、
直接的に卑猥な言葉を大声で叫んだり、
ヘルパーさんや他の実習生の胸やおしりを触ろうとする。
もっとひどいことをしようとしたところを、
僕が取り押さえたこともある。
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あとで聞いた話によれば、このおじいさんには「とある過去」がありました。
きっとそのことが、介護施設での行動の要因なのであろう、大事な過去が。
その過去は、転載元ストーリーをご覧ください。
いろんなものを忘れて、それでも最後には自分の揺るぎないものが残る。
そんな人たちをたくさん見てきた著者は、こう語っています。
"いつかなにもわからなくなる。
そのときに、僕に残るのはいったいどんな言葉だろう。
残す言葉は自分で選べない。それが怖い。
ほんとうに、怖い。"
私の祖母も認知症でした。
孫のことも、息子のことも、嫁のことも忘れて、傍若無人なところがありました。
それなのに、他人を前にすると、妙にお行儀がよくなる人でした。
きっと心のどこかで、家族だと分かっていたから、甘えられたんだろうと、
今ならそう思うことができます。
家族という存在は、安心して甘えていいという思いが、残っていたのだな、と。
このまま何事もなく、平和に年輪を重ねていったとき、
わたしたちには何が残っているでしょうか。
自分でその答えを確認することはできません。
ならばせめて、幸せだったんだな、と周りの人が思ってくれるような何かを
残せたらいいな、と、それができたら素敵だな、と、そう思いませんか?
過ぎゆく毎日を
ある人は、なんとなく
ある人は、仕事にまみれて
ある人は、たくさん笑って
ある人は、少し泣いて
そうやって生きていると思います。
その結果として残るものがわたしたちにはある。
それならば、どんなふうに生きていこうか。
今日の自分、これまでの自分、そして、これからの自分を考えさせてくれるストーリーです。
(文:STORYS.JP編集部・阿部)