酒鬼薔薇事件の加害者が発表した手記『絶歌』、犯罪心理の観点から見る、少年Aの心理とは
1997年、日本を震撼させる事件が起きた。 当時14歳の少年が起こしたその事件は、別名「酒鬼薔薇聖斗事件」と呼ばれ、少年犯罪の歴史に大きく名を残す事件となった。 学校の校門に置かれた被害者の切断された頭部、新聞社に送られた挑戦状。 事件の凶悪さと異質さから、当時多くのメディアで取り上げられた。 加害者少年は少年法の適用される中学2年生ということで、「少年A」と呼ばれるようになる。 その少年Aは、2005年には少年院を退院し、名を変え、プロフィールを変え、普通の社会生活を送っている。 そして2015年6月。 件の少年Aが手記を発売するというニュースが日本全国を駆け巡り、大きな論争を呼び起こした。 少年A、出版社への批判、販売を取りやめる書店、印税の行く末、 出版された少年Aの手記「絶歌」を読む人への批判、読まない人の持論。 様々な意見が飛び交う「絶歌」を、犯罪心理の観点から見たストーリーが投稿された。 少年Aはなぜ手記を発表したのか、その内容とはいかなるものなのか。 投稿されたストーリーを紹介しよう。
あなたが子どもを殺されたらどうしますか?
私は現在社会人の20代です。大学時代は犯罪心理である非行心理や、心理検査法である投影法を学んでいました。正直、この事件に関する当時の記憶は・・・ほぼ、ありません。
しかしながら、この少年が自らに名付けた名前のインパクトは強く、日本国民であれば多くの人々が耳にした経験があるのではないでしょうか。「被害者遺族に申し出なく出版するなど、気持ちを想像したら許せない」「犯罪を犯した人間から表現の自由を奪うのか」対立する世間の倫理観を考慮し、各媒体や書店がどのように対応するのか注目を集めた本でもあります。とても注目度の高い本、それが『絶歌』です。
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『絶歌』は、二部構成でなりたっています。<人を殺めたころ><社会人になってから>前編と後編と呼ぼうと思います。
心理学や検査法を大学で学んだ程度の知識ですが、少し気になる点があったので考察してみました。(今は手元に本がないので誤っている点がございましたらご指摘ください。)
(1)あれほどお世話になった猫
前編では、可愛がっていた愛犬が亡くなり、残ったドッグフードを猫が食べる姿を目撃します。そして猫を殺める事により、性的快楽を得ていた事をつづっています。後編では、犬を見て過去を思い出し、居たたまれなくなりその場を去る描写があります。しかし、あれ程、ある意味お世話になった猫の描写は一つもありません。
(2)夜に食らいつく下弦の月
前編では、あの日、校門の前で、どこに配置するか模索していた時に見た月について、上記のような表現をしています。そうですか、あの日は月が食らいついているように見えたのですね。で、後編では?またしても月に関する描写は一つもありません。
(3)"「抱きしめたい気持ち」の白い縦糸。
「無茶苦茶にしたい気持ち」の黒い横糸。"
本についている、しおりに使える紐は何色でしょうか。そうです、白です。抱きしめたい気持ちです。さて『絶歌』の本は何色でしょうか。そうです、白です。本当に?本当に白ですか?あなたが見ているのは、本当にむき出しの本の色ですか?
(4)性的描写
あれ、なぜ後編には性的描写がないのでしょうか。前編では、無理やりに「祖母」と「バイブレーション」を使って執拗に「性」と「死」を繋げたのに。猫や人間の死を絡めて性的描写をつづったのに。今の酒鬼薔薇少年の性欲のはけ口は、どこにいってしまったの?警察に見つけてもらえた後から、2年間ほど勃起しなかったんでしたよね?ねぇ、その後はどうしているの。書けないの?
(5)"被害者の家族の皆様へ"
"それでも、もうこの本を書く以外に、この社会の中で罪を背負って生きられる居場所をとうとう見つけることができませんでした。"
"僕はひたすら声を押しころし生きてきました。それはすべてが自業自得であり、それに対して「辛い」、「苦しい」と口にすることは、僕には許されないと思います。でもぼくはそれに耐えられなくなってしまいました。"
"自分の生の軌跡を形にして遺したい。朝から晩まで、何をしている時でも、もうそれしか考えられなくなりました。そうしないことには、精神が崩壊しそうでした。自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、たった一つの「生きる道」でした。僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした。"
さて、更生とはなんでしょうか。
前編では、彼の内なる感情は全く感じられません。それに対し、後編では、彼の葛藤が真摯に伝わってくる文章です。
人は、自分の生や成長や変化を何で知るのでしょうか。それは、同じ物体・同じ物事についての、感じ方・受け止め方の変化を感じた時です。人により、同じredであっても、林檎、血色、日の丸色と感じます。あの日の月の描写、独特ですよね。今の彼にはどのように月が見えるのでしょうか。もし、仮に彼が変化していたならば、月を見上げた時に、自分の変化に気づくでしょう。彼のことです。きっと繊細な言葉で表すでしょう。同様に、あれほどまで執拗に彼の瞳に映っていた猫は、どこへ行ってしまったのでしょう。
家族のことについて、できる限り触れないのも不思議ですね。けれど『絶歌』によって、再び家族を傷つけたくないという思いもあるのでしょう。意識的に書かないようにしている印象を受けました。彼にとっては、人を殺める記述をするよりも、自分の家族を思い出す事は、痛みを伴い、記述できないのではないでしょうか。なにしろ、公園で家族を見た時に、被害者の家族を思い出しても、自分の家族については思い出さないのですから。
あなたが子どもを殺されたらどうしますか?
加害者を恨みますか?何年思い返して恨めば気が済みますか?5年ですか?10年ですか?30年ですか?100年ですか?加害者と血縁のある者に石を投げますか?子どもと同じように殺してやりたくなりますか?それとも社会的に罰を一生受けさせたいと強く願いますか?文字も書かせず、人としての人権を奪ってやりたいですか?記者会見を開いて、いかに自分が腹立たしく思っているかについて説き伏せますか?どれほど加害者が非人道的であるか、一生説き続けますか?出版の差し押さえを求めますか?告訴しますか?
その様子をみた他人は、不買運動を起こしてあげようと思いますか?
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心は脳です。心理学は脳科学です。
更生とはなんでしょうか。思考とはなんでしょうか。私には『絶歌』はこう見えました。
「頭がおかしくなりそうです。ここに罪を文字として書かなければ、近しい事を再び犯してしまいそうです。どうぞ書く事をお許しください。」
遺族
私は、弟を、ひき逃げで亡くしました。
私は、一人っ子になりました。
加害者が罪の重さを認識し、更生施設、あるいは罰を受け、この社会を歩いているのであれば、それは本当に心から応援したいです。弟の分まで、生きて欲しいです。加害者がどのような生活をしているかなどは自ら知りたくない。想像したくない。だけど、遺族の私としてではなく、一人の人間の私として、私は、"生を掴み取るために"出版する事を応援したい。どうぞ、人として生きてください。
現在STORYS.JPでは、「少年Aが居た街」というストーリーも投稿されている。
事件が起きた街に住んでいた著者が書いているストーリーだ。
新聞やテレビでは取り上げられていない、地元での当時の動きが分かる。
関連リンクより、そちらも併せて読んでみてほしい。
様々な意見が飛び交う「絶歌」。
少年法の改正にも影響を及ぼした犯罪の手記は、読むべきか否かは個人の判断だ。
どちらにせよ、犯罪を犯し、少年院から退院した少年少女たちが、その後の社会復帰をどのように迎えるのか、
目的とされる更生はきちんと果たされているのか、今一度きちんと考える必要があるだろう。
(文=STORYS.JP編集部・阿部仁美)