週刊アサヒ芸能「創刊60年の騒然男女」スポーツ界「波乱のウラ舞台」<野球篇/特別インタビュー・広岡達朗>(2)川上さんを見返したかった
ヤクルト、西武の監督として日本一を達成した広岡氏は、95年に千葉ロッテのGMに就任する。球団は5年契約を提示してきたが、「3年で結果を出さなければ、責任を取る」と断言した。しかし、思わぬところから横やり。当時のボビー・バレンタイン監督との確執がスポーツ紙上でたびたび伝えられたのだ。「日本の野球のスタイルになじめずにいたボビーが泣きついてきたこともあった。ボビーは、私の助言には、いつも『イエッサー』で...