【意外な事実】「種の起源」のダーウィンは生物学者じゃなかった! じゃあ何者だったの?

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「進化論」の生みの親、チャールズ・ダーウィン。動物番組のタイトルにも使われるほど「生物」のイメージが強いひとだが、「生物学者」ではなかったのはご存じでしょうか? 医者一家に生まれながらもまったく興味を示さず、医学部に入学するもわずか2年で中退……牧師になるために別の大学に入学しても地質学に没頭するマイペースな人でした。ガラパゴス諸島に行ったのも「測量」の仕事をするためで、変種の動物に気づいたのはある意味で「たまたま」。代表作「種の起源」を発表した年に地質学の賞を受賞するなど、片手間なのかマルチなのかわからない学者でした。

■行儀良くマジメなんてできやしなかったダーウィン

チャールズ・ダーウィンが生まれたのは1809年。祖父と父は医者、母は高級洋食器で知られるウェッジウッドの創始者の娘と、誰もがうらやむエリート一家の次男としてなに不自由なく育ちました。8歳のときに母スザンナが他界してからは父が厳格に育て、家業を継ぐためにエディンバラ大学で医学を学ぶ。ところが、幼いときから昆虫や動物が好きだったダーウィンは、医学にはまったく興味がなく、父にムリヤリ入学させられただけ……。血を見るのも苦手なようで解剖も実習もまったくダメ……これじゃぁ医者はムリだな、と父もあきらめ、わずか2年で中退しました。

それでは牧師にしよう! と、今度はケンブリッジ大学の神学部に入学させられるが、牧師になろうとも思わないダーウィンは動植物や地質学を学んで卒業。父の計画はすべて空振りに終わるのでした。

ケンブリッジ大学を卒業したダーウィンは、測量船ビーグル号での学術研究員の職を手に入れます。測量だけなら問題なかったのですが、ビーグル号は海軍の船だったため、牧師=聖職者になろうとしているのに「軍」で働くってマズくね? と父親は猛反対。しかし、ダーウィンが素直に言うことを聞くはずもなく、ビーグル号で南半球探検の旅に出かけてしまうのでした。

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