【プロ野球】バントはお断り?”攻撃型2番打者”が2016年のキーワードに

昨季は2番打者で70試合にスタメン出場した川端慎吾(C)野球太郎

 2015年シーズン、セ・リーグを制したヤクルト。トリプルスリーを達成した山田哲人の活躍もさることながら、戦術的に注目を集めたのが首位打者・川端慎吾を2番に起用したことだった。

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■”2番打者最強論”の系譜とは?

 バントをしない2番打者。過去にはカズ山本(当時ダイエー)や小笠原道大(当時日本ハム)、ペドロ・バルデス(当時ダイエー)など超攻撃型2番打者が注目を集めたこともあったが、近年は西武の栗山巧くらいで、確かに“職人型”の2番が目立っていた。

 そこに川端の大ブレイクによって、再び湧いた2番打者最強論。DeNAではアレックス・ラミレス新監督が梶谷隆幸2番構想を明らかにしており、阪神でも鳥谷敬を2番打者に起用するのではないかという見方もある。

 2016年は“2番打者”がひとつのキーワードになりそうだ。

 しかし、一般的なイメージである「2番打者=小技・小兵」というイメージはどこから生まれたのだろうか…?

 そんな疑問から、プロ野球創成期の2番打者を調べてみた。

■大阪の初代2番打者・藤井勇が非公式2冠を獲得

 最初に当たってみたのは、日本プロ野球最初の公式戦である1936年春季リーグ戦。東京巨人軍はアメリカ遠征のため参加できず、大阪タイガース、名古屋軍、東京セネタース、阪急軍、大東京軍、名古屋金鯱軍の6球団による短期リーグ戦が開催された。

 この大会は順位を付けず、興行化のテストを兼ねた、いわゆる花試合であったが、一際輝いたのが大阪タイガースの2番打者・藤井勇だった。

 旧制鳥取第一中では4番打者として3度甲子園に出場している藤井は、その打棒を遺憾なく発揮。5月4日の東京セネタース戦でプロ野球公式戦第1号ホームラン(ランニングHR)を放つと、甲子園ラウンド5試合で19打数10安打1本塁打、打率.526を挙げ、非公式ながら最初の大会で首位打者と本塁打王の2冠、加えて最多安打の選手になった。

 藤井は公式に順位が決まる1936年秋のシーズンも打率.320、リーグ最多の40安打、30得点、50塁打を叩きだし、チームは巨人との優勝決定戦に進出。松木謙治郎、景浦將などの主軸が不調の中、阪神の輝かしい歴史の幕を下した2番打者だった。

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