野球の華といわれるホームランを筆頭に、豪速球投手の三振ショーや、安打製造機のテクニカルなヒット、守備の名手の鮮やかなフィールディングなど、プロ野球の見どころは数多い。
もちろん盗塁もその一つだ。足のあるランナーが出塁すると一塁から目が離せなくなる。投手の牽制や間合いをくぐり抜けて二塁を陥れる走者のスタートもまた、野球の見どころであるはずだ。
そんな「スピードスター」がいなくなって久しい。
昭和のスピードスター・福本豊はシーズン60盗塁以上を10年連続でマークしたが、ドラフト導入後、年間60以上の盗塁を決めたのは以下の10例しかいない。
- 1967年 柴田 勲 (巨人)70盗塁
- 1982年 松本匡史 (巨人)61盗塁
- 1983年 松本匡史 (巨人)76盗塁
- 1983年 大石大二郎(近鉄)60盗塁
- 1985年 高橋慶彦 (広島)73盗塁
- 1997年 松井稼頭央(西武)62盗塁
- 2003年 赤星憲広 (阪神)61盗塁
- 2004年 赤星憲広 (阪神)64盗塁
- 2005年 赤星憲広 (阪神)60盗塁
- 2011年 本多雄一 (ソフトバンク)60盗塁
2015年の盗塁王はセ・リーグが山田哲人(ヤクルト)、パ・リーグが中島卓也(日本ハム)だった。盗塁数はともに34個だったが、この数は、世界の盗塁王・福本豊が1972年に樹立したシーズン106盗塁の3分の1にも満たない。
本塁打王のシーズン記録がバレンティン(ヤクルト)の60本であることを考えると、わずか20本でホームラン王になっているようなものかもしれない。
■試合数増加にもかかわらず減った「盗塁王」の年間成功数
各年度盗塁王の平均盗塁数を昭和と平成で比較すると、昭和の平均盗塁数(ドラフト導入後、1966〜88年の23年間)はセ44盗塁、パ59盗塁だったが、平成の27年間ではセ39盗塁、パ44盗塁と下がっている。
平成になってからシーズン70盗塁を記録した選手は皆無。セの最高は赤星憲広(元阪神)の64盗塁(2004年)、パは松井稼頭央(現楽天、当時西武)の62盗塁だ。
年々上がっている打撃技術と反比例するように「盗塁技術」は下がっているわけだ。
昭和の時代は福本だけが抜けていたとも言えるが、昭和が年間130試合だったのに対し、平成は年間144試合と試合数は増えている。
にもかかわらず盗塁王の成功数が減っているのは、盗塁を企図する回数が減ったためであり、確実に成功させる福本のような選手がいないためでもあるだろう。
平成のスピードスターであるイチローは、日本時代に199盗塁、メジャーで498盗塁と合計697盗塁を決めている。日本プロ野球の最高である福本豊の1065盗塁には及ばないが、2位の広瀬叔功(元南海)の596盗塁を遥かに凌駕している。日本野球にスピードスターがいないのは、イチローがメジャーにいるためでもあるようだ。
(文/小川隆行)
- 小川隆行(おがわたかゆき)
- 編集者&ライター。『プロ野球 タブーの真相』(宝島社刊)シリーズなど、これまでプロ野球関連のムックを50冊以上手がけている。数多くのプロ野球選手、元選手と交流がある