【プロ野球】ダル、江川、東尾…”開幕から謹慎”明け選手が残した成績

日本ハムのルーキー時代には、無期限謹慎処分が課されたダルビッシュ。その後の活躍はご存じの通り

 銃刀法違反の現行犯で逮捕されたヤマイコ・ナバーロに対し、所属球団の千葉ロッテマリーンズは開幕から4週間の試合出場停止と罰金50万円を課した。

 今回の「ナバーロ事件」ともっとも近しい事例が元中日のマキシモ・ネルソンだ。2010年2月26日、春季キャンプ地の沖縄から名古屋へ戻る飛行機の手荷物検査で実弾が見つかり、銃刀法違反容疑で逮捕。球団は3カ月の出場停止処分をネルソンに課した。こう考えると、ナバーロの4週間の出場停止処分は短い、という声が挙がっても仕方がない。

 ちなみに2010年のネルソン、謹慎が明けて6月に1軍合流。前年までの2年間32試合登板でわずか1勝のネルソンだったが、この騒動で目が醒めたのかシーズン途中からにもかかわらず、初完封を含む4勝を挙げた。

 ナバーロ、ネルソン以外にも過去、「開幕から謹慎」という処分で出遅れた例は意外に多い。代表的な事例を振り返ってみよう。

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■1979年、江川卓(元巨人):開幕から2カ月自粛

 1978年ドラフト会議における「空白の1日」事件の騒動を受け、開幕から2カ月の間、1軍昇格を自粛したのが1979年の怪物ルーキー・江川卓だ。

 1軍デビューは同年6月2日の対阪神戦。本拠地・後楽園球場での試合ではあったが、「空白の1日」でトレード相手となった小林繁のいる阪神相手、ということもあって異様なムードの中で試合は行われた。さすがの江川も気後れしてしまったのか阪神相手に3本塁打を喫し、敗戦投手に。結局この年、9勝10敗に終わり、有力視されていた新人王のタイトルも逃してしまった。

 ちなみに、2カ月の自粛期間が生んだ副産物として、イースタンリーグ・ロッテ戦で同期入団の落合博満と対戦、という今から振り返れば夢のルーキー対決が実現している。この試合、落合が江川から2本のタイムリーヒットを放ち、後の三冠王の片鱗を見せている。

■1988年、東尾修(元西武):半年間の出場停止

 1987年、37歳ながら15勝9敗の好成績でシーズンMVPを獲得した西武の東尾修。まだまだ若い者には負けない、と健在ぶりをアピールした年のオフ、麻雀賭博容疑で書類送検され、球団から半年間の出場停止と減俸2,500万円の処分を受けてしまう。

 復帰登板は翌1988年6月22日。開幕を出遅れたこともあってこの年は6勝どまり(9敗)で、前年まで続いていた連続二桁勝利は6年でストップ。そしてシーズン終了後、現役生活に別れを告げることになる。謹慎がなければ、もう少し現役生活も長かったのでは……とは悔やんでも悔やみきれないタラレバだ。

■1990年、桑田真澄(元巨人):開幕から謹慎1カ月

 1990年、登板日漏えい疑惑によって謹慎1カ月、罰金1000万円の処分を受けたのが巨人の桑田真澄だ。疑惑が浮上したのがキャンプ中の2月。最終的に処分が決まったのが3月30日。4月7日のシーズン開幕直前に、巨人は前年17勝のエース不在という緊急事態に陥ってしまう。

 だが、当時の巨人は槙原・斉藤・桑田の「三本柱」全盛時代。この年、槙原寛己は9勝(5敗)どまりだったが、斎藤雅樹が20勝(5敗)。そして1カ月出遅れたにもかかわらず、桑田も結局14勝(7敗)の好成績を収め、巨人は2位に22ゲーム差の大差をつけてペナントを制した。

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