栄光の巨人軍、騒動&スキャンダルに見る”V逸の歴史”

スキャンダルの年は成績が悪い!?

 野球賭博問題の再燃に続き、練習中のノックや円陣での声出し役に対する「賭け」など、マスコミの一斉砲火を浴びている巨人軍。野球賭博はさておき、ノックや円陣にまで“飛び火”することで、またもや「負の歴史」に新たな1ページが加わった。

 新監督の高橋由伸は自ら謝罪するなど、開幕を前に暗いムードが漂うジャイアンツだが、古くは江川問題、近年では震災年の開幕騒動など「負の問題」が起こった年、どのような成績に終わったかを検証してみたい。

■優勝を逃した「江川問題&KKドラフト」

 まず、年輩の人なら誰もが知る1979年の江川騒動だ。

 野球協約の盲点を突き、「空白の1日」を利用して江川卓と契約を結んだ巨人は、翌日のドラフトをボイコット。世間の非難を一斉に浴びた。騒動を収めるべく下ったコミッショナー裁定は、ドラフトで江川の交渉権を獲得した阪神と小林繁との「トレード」という決着。騒動の主・江川は開幕から2か月の謹慎を余儀なくされた。

 あまりの横暴さに世間の非難が集中したこの年、江川が不在の4・5月は22勝15敗とAクラスを維持するも、江川のデビューが近づくとともにチームは低迷。6月は6連敗スタートとなり、この間、江川もデビュー戦を黒星スタート。その後、巨人はすべての月を勝ち越せず、屈辱の5位に沈んでいる。

 次はKKドラフトの1986年だ。この年に巨人は、早大進学を表明しドラフト指名が見送られると思われていた桑田真澄を単独指名。早くから「巨人LOVE」を公言していた清原和博を指名せず、清原は会見で涙を流した。

 翌年の巨人は勝率.610という好成績。最後まで優勝争いに加わったが、わずか3厘差(ゲーム差なし)で優勝を逃している。

 この年、桑田は2勝1敗と活躍らしい活躍ができず、一方の清原は高卒新人の記録を塗り替える31本塁打を放ち、打撃ベストテン8位につけるなど堂々の成績を残した。勝負事に禁物の「たられば」を言わせてもらえば、清原指名を貫けばドラフトの結果(清原指名の球団数)も変わり、「筋書き通りに指名できていれば優勝は間違いなかった」と今も言われている。

 あれから30年。その清原は人生最大の苦しみを味わうこととなったが、希望通り巨人に入団していれば、あるいは違う人生だった……かもしれない。

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