【プロ野球】広島・新井貴浩の2000本安打までの道のりを振り返る

【プロ野球】広島・新井貴浩の2000本安打までの道のりを振り返る

 4月26日、神宮球場で行われたヤクルト対広島。大記録まであと1安打と迫っていた新井貴浩(広島)は3回裏、ヤクルト先発・成瀬善久から二塁打を放ち、通算2000安打を達成した。

 奇しくも駒澤大学時代にプレーした神宮球場での偉業達成に、何か運命を感じずにはいられない。ここまで18年間のプロ野球生活を送っている新井だが、2000安打達成に至るには様々な歴史があった。

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■ドラフト下位指名からチームの中心選手に

 新井は1998年秋、ドラフト6位で地元・広島から指名を受けて入団。大学4年時には大学全日本代表に選出されるが、決してスタープレーヤーという存在ではなかった。

 そんな新井はプロ1年目のシーズン途中にはファーストでスタメン出場を果たすなど出場機会を得て、7本塁打をマーク。2000年のシーズン途中にチームのベテラン・野村謙二郎からサードのポジションを奪取。18本塁打と前年よりも本塁打数が増え、主砲候補として頭角を現していく。

 2001年は主に外野手でプレーして18本塁打。そして2002年には140試合フル出場を果たすと、打率.287、28本塁打、75打点と自己最多の結果を出す。この年は初のオールスターゲーム出場を果たし、飛躍の年となる。

 その一方でチームの中心選手・金本知憲(当時広島)の弟分として、イタズラの標的にされるなど「いじられキャラ」としても認識されていった。オフにはその金本がFA宣言し阪神へ移籍。金本に代わる4番打者として期待されるが、そのプレッシャーに苦しみ、2003年以降は伸び悩んでしまう。

■初のタイトル、涙のFA宣言…

 2005年、新井に転機が訪れる。打撃スタイルの変更が功を奏して本塁打を量産。43本塁打で初めて本塁打王のタイトルを獲得。4番にも返り咲き、チームの主砲として2006年からは2年連続全試合出場を果たした。

 そして2007年オフ、FA権を取得していた新井は、広島残留か、FA行使かと揺れ動く。悩み抜いた結果、新井はFA権行使を決断。その会見では「辛いです。カープが好き過ぎて」と複雑な心境を語り、涙を流した。

 阪神へ移籍した2008年、新井は北京五輪代表に選ばれ、星野仙一日本代表監督から4番を任された。腰の骨折を押しながら出場し続けたが、チームはメダル獲得を逃し、新井にも非難の声が向けられた。

 五輪でのケガもあり、阪神移籍1年目は不本意なシーズンに終わる。しかし2010年4月途中からは兄貴分・金本に代わって4番に座り、打率.311、19本塁打、112打点と、阪神移籍後の最高成績を残す。さらに翌2011年には93打点で打点王を獲得。阪神の顔としてチームを引っ張っていった。

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