田中角栄 日本が酔いしれた親分力(10)目指すはひとつ、首相の座

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田中角栄 日本が酔いしれた親分力(10)目指すはひとつ、首相の座

 ついに、田中角栄は、政界の頂点・総理大臣に狙いを定める。だが、目の前にライバル・福田赳夫が立ち塞がり、田中はアメリカを舞台に大きな賭けに出る。田中の圧倒的なパフォーマンスは人々の心をつかみ、逆境を覆す。この胆力こそが、男の野望を実現する原動力なのだ!

 田中角栄は、佐藤栄作首相に呼ばれ、首相官邸の首相執務室を訪ねた。1965年(昭和40年)5月末であった。

 佐藤は、田中をソファーに座らせるなり、顔をほころばせ、上機嫌で言った。

「6月3日の内閣改造で、君に幹事長をやってもらうことに決めたよ」

 田中は「幹事長」と聞き、浅黒い顔を引き締め、頭を下げた。

「ありがたく、お受けいたします」

 田中は、心の中で凱歌をあげていた。

〈ついに、首相になるためのあとひとつの役をつかんだぞ〉

 入閣候補はいくらでもいる。つまり、はっきり言えば、誰でもなれる。しかし、総理大臣というのはそうではない。やはり閣僚では蔵相、党では三役のひとつである幹事長、最低この2つをやらないとなれない。合わせて1本である。佐藤栄作、池田勇人、みなそうである。だいたい財政、経済もわからんヤツが、首相になれるわけがない。田中は、そう考えていた。

 幹事長も大蔵大臣も、両方とも経済、つまり金を握っている。幹事長は、その上さらに、選挙の達人でなければ務まらない。

 田中は、68年(昭和43年)11月30日、第2次佐藤内閣で自民党幹事長に再び就任。翌69年の総選挙で幹事長として指揮を執り、大勝利を収めた。

 自民党288人、社会党90人、公明党47人、民社党31人、共産党14人、無所属16人で保守系無所属を加えると、300議席の大台に乗ったのである。

 佐藤栄作も、この選挙の結果に上機嫌であった。

 この時の小沢一郎ら初当選組が、後の田中派「木曜クラブ」の中核になる面々である。ひとつの派閥の中で同期当選組は、たいてい4、5人しかいない。が、69年初当選組に限っては、後に田中派となる者が17人もいた。

 田中の下で当選した彼らは、「田中派の初年兵」を自任していた。

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