田中角栄 日本が酔いしれた親分力(10)目指すはひとつ、首相の座 (2/2ページ)

アサ芸プラス

 田中角栄は71年(昭和46年)7月5日、佐藤内閣改造で通産大臣となり、田中のライバル・福田赳夫は外務大臣に就任した。 その年の暮れ、佐藤総理は福田外務大臣に、首相官邸の応接室で言った。

「実は福田君、ニクソン大統領から、来年早々カリフォルニア州のサンクレメンテで会いたい、と言ってきた」

 佐藤は、ニクソンとの沖縄返還交渉を締めくくるその会談を花道として、引退するつもりであった。

 佐藤は福田に、その年の秋頃から2、3回身内に話すような親しさで語っていた。

「さて福田君、田中君にはいつ話すかな」

 つまり、自分が総理を引退した時、次に福田に政権を渡す、と決めていることを、いつ田中角栄に打ち明けようか、ということであった。

 福田は、佐藤からの禅譲(ぜんじょう)を信じ切っていた。余裕のある勝者の口調で言った。

「田中君にお話があるというなら、サンクレメンテは、いい機会じゃないですか。同行をお願いしたら」

 福田だけを同行させれば、総裁選に向けて福田の株がはるかに上がるはずだ。しかし、田中は今回の日米首脳会談の話を聞きつけ、強引に割り込んできた。

「経済面で問題が多いから、私も行かなければなりません」

 佐藤は、田中の要求をむげに蹴るわけにもいかず、このような形で福田に了承をとり、同行を認めたのである。

作家:大下英治

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