体操選手としてだけでなく、歌手としても脚光を浴びた信田美帆(44)。そのキャリアは五輪経験者でも特異な部類だが、今また、体操への回帰を果たした。
── 86年の全日本体操選手権を史上最年少記録(14歳)で制し、勢いのままに88年のソウル五輪に出場。16歳での初五輪とは?
信田 五輪自体は正直、メダルは難しいから、思い切りやれて、それほど緊張しませんでした。むしろ、出場を賭けた前年の世界選手権のほうが「もし、私がミスしたら‥‥」とプレッシャーでしたね。
── このソウルあたりから「五輪を楽しみたい」と口にする選手が増え、気質の違いと言われましたが。
信田 中学を出てすぐくらいの、右も左もわからない状態。楽しむ余裕はなかったです。その点、男子の池谷幸雄さんは、一生懸命に競技をしながらも、どこか楽しんでいらして、ハートが強いんだなと思いました。
── 結果的にはソウルが「最初で最後の五輪」ということに。
信田 そうですね、大学生になってから活躍していなかったので、自然と体操以外のほうに目が向いていったんだと思います。
── 98年には巨人軍のマスコットガールズである「ファイヤーガールズ」に選出。グラウンドでバック宙などを決めて大歓声を浴びていましたね。
信田 そして歌手になりたいという夢をかなえてくれたのが、99年にデビューした「太陽とシスコムーン」でした。私は小さい頃から体操というレールの上で守られてきて、初めて社会に出て何かをやりたいと思ったのが、このユニットのオーディションでした。
── つんく♂プロデュースのもと、本格的なボーカルとダンスで「ガタメキラ」などヒット曲も多かった。翌00年には解散になりましたが、メンバーとの交流は今もありますか?
信田 よく会いますが、1年前にトークライブがあって、久々に公式の場で4人がそろったんですよ。