【プロ野球】今年はジョンソン(広島)が受賞! 沢村賞にまつわるアレコレを調べてみた!

沢村賞にまつわるアレコレを調べてみた!

 10月24日、プロ野球の投手にとって最高の栄誉といえる沢村賞が発表された。

 今年は、15勝7敗、防御率2.15の好成績を残し、25年ぶりのリーグ優勝に貢献したジョンソン(広島)が受賞。外国人投手の受賞は1964年のバッキー(阪神)以来52年ぶりとなる。広島の投手としては、昨年の前田健太(ドジャース)に続き2年連続の受賞だ。

 これまでに名投手と呼ばれる選手たちがこれまで受賞しきたが、今回は、その「沢村賞」にまつわるエピソードをいくつか紹介したい。

※野球の見方が変わるスマホマガジン『野球太郎Pocket』と『週刊野球太郎』でニュースやコラムが読み放題!

■プロ野球創成期の名投手・沢村栄治をたたえた「沢村賞」

 「沢村賞」は戦前の名投手・沢村栄治に由来する。1934年、沢村は京都商を中退し全日本チームに参加。ベーブ・ルース、ルー・ゲーリックを擁する大リーグ選抜チームに敗れるも、0対1と好投を見せた。

 その後、巨人のエースとして活躍。プロ野球発足初年度の1936年には、タイガース(現・阪神)との優勝決定戦で3連投し巨人の初優勝に貢献。翌1937年春のシーズンには24勝を挙げ、最高殊勲選手に選ばれた。

 速球と「懸河のドロップ」と呼ばれた縦のカーブを武器にしていたが、日中戦争に応召され軍隊生活で右肩を痛めてしまう。1940年に復帰するも、その投球スタイルは以前と異なり、技巧派投手へと変わらざるを得なかった。戦局が悪化していくなか、1944年12月、沢村の乗船していた輸送船が台湾沖で撃沈され、戦死。27歳の若さだった。

 通算成績は63勝22敗。ノーヒットノーランは3回達成しているが、これは外木場義郎(広島)と並ぶプロ野球最多記録だ。

 沢村の死後、1947年には背番号14が巨人の永久欠番となり、その功績を称えて読売新聞社が「沢村賞」を制定した。最初の受賞者は南海の別所昭(のちに毅彦と改名)。別所はその後、1949年に巨人へ移籍し、第2期黄金時代のエースとして活躍。1955年には2度目の沢村賞を受賞した。

 ちなみに、MLBの「サイ・ヤング賞」は制定されたのは1956なので、沢村賞の方が歴史が長い。

ピックアップ PR 
ランキング
総合
スポーツ