関東連合元リーダーが明かす「私が接触した“酒鬼薔薇聖斗”の正体」(1)自分に同じことができるか?

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関東連合元リーダーが明かす「私が接触した“酒鬼薔薇聖斗”の正体」(1)自分に同じことができるか?

 関東連合元リーダーが、本名「柴田大輔」で著した「酒鬼薔薇聖斗と関東連合」が刊行された。神戸事件当時、房内の柴田氏は同じ非行少年の事件に興味を覚え、記事を読み漁る。そして手記「絶歌」発売をきっかけに接触に成功。2人の「元少年A」対峙の果てに浮かび上がった猟奇犯の正体を、柴田氏が緊急寄稿する。

 1997年6月28日、神戸連続児童殺傷事件の犯人・酒鬼薔薇聖斗が逮捕される。当時私は、対立グループとの抗争事件で逮捕され、凶器準備集合罪と傷害致死の罪に問われていた。14歳の猟奇犯逮捕は、ちょうど鑑別所に収容される少し前の時期だった。

 酒鬼薔薇による事件を振り返ろう。

 97年2月10日、神戸市須磨区の路上で小学生の女児2人をゴム製のハンマーで殴り、1人に重傷を負わせる。3月16日には同区公園で、10歳の山下彩花さんを八角げんのうで殴り、脳挫傷で死亡させる。直後には、小学生女児を小刀で刺傷させた。5月24日に小学校5年生の土師淳さんを、近隣の「タンク山」に誘い出し絞殺。翌日に首を切断し、25日には口内に手紙を入れ、市立友が丘中学校の校門の上に置いた。

 事件を知った、18歳の私の感想は実に稚拙で、

「14歳の時には非行少年だったが、自分に同じ事ができただろうか? 今ならできるだろうか?」

 というものだった。いくら自問を重ねても、答えは「ノー」。こうして興味を持った私は、いつもの癖で、酒鬼薔薇について書かれたものを読み漁っていく。

 やがて私は出所をし、日常生活の中に「神戸」の一件は埋もれていった──。

 2010年の「朝青龍暴行事件」「市川海老蔵暴行事件」で「関東連合」は、日本の伝統文化の破壊者として全国的に知れわたる。すでにITなどで事業を興していた私も、「元リーダー」としてネットを中心に「デマ」が書き込まれ、不動産取引もできない状態となった。12年にはメンバーによる人違い撲殺事件、「六本木フラワー事件」が発生。主犯格の「見立君」=見立真一容疑者・37=は、海外逃亡し国際指名手配となる。

 無関係な私も事件関係者の対立に巻き込まれ、自首した2名の支援者となったことで、「見立君」と対立。

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