人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第41回

| 週刊実話

 昭和40年6月、第1次佐藤(栄作)内閣は内閣を改造、これに伴って田中角栄は大蔵大臣を辞任、佐藤派の宿願でもあった自民党幹事長の要職に就いた。田中幹事長誕生をメディアはどう見たか。当時の『朝日新聞』は、次のように伝えている。
 「佐藤首相が『私の片腕』と呼び、幹事長は総裁派からということであれば、これは当然の人事であろう。蔵相を3年、その前が政調会長だったが、当時、党内閣の実力者を入れた“実力者内閣”に対し、田中政調会長らは“軽量執行部”と呼ばれた。3年を経た今日、重厚とは言われないまでも、もはや軽量と評する者はいない。
 一方、決断の早さ、読みの深さ、政財界人への顔の広さの三つに裏打ちされた実行力があると、褒める人は言う。決断の早さは、予算折衝での手際のよさにも見られた。読みの深さは、池田(勇人)内閣に佐藤派が協力、そのあと佐藤内閣へという手順を誤らなかった当の立役者だったことにある。ただ、時に行動力がたたっての勇み足の心配がないではない。
 また、ハラと策略を重んじるのが保守党旧派であるとすれば、政策と実行を軽視しない新しい感覚もある。が、若いときから鼻下にヒゲ、ナニワ節をうなり、将棋を指し、しかしゴルフはだめと、新旧両面が同居している奇妙な魅力も醸し出す。いつも陽の当たる場にいるので、佐藤派の中でも風当たりがやや強くなっているが、ちょっとやそっとでへこたれぬシンの強さも持つ」(昭和40年6月2日付)

 長く田中の異名として知られた「コンピューター付きブルドーザー」は、この幹事長時に定着した。「ブルドーザー」は疲れを知らぬ行動力を表すのだが、例えば地元新潟で一度きりしか会っていない支援者のフルネームを、10年のブランクがあってもピタリ口を突いて出るといった超頭脳「コンピューター」ぶりも、いかんなく発揮された。これには、当時の幹事長番記者の次のような証言が残っている。
 「幹事長のもとには、国会議員はじめ46都道府県(当時)の知事、市長、県会議員などの陳情が連日、押し寄せてくる。田中は受けられるものは『よし、これはやる』、無理なものは『これは出直しだ。練り直して持って来い』と、イエス、ノーで片っ端からさばいていた。とにかく“コンピューター”だから、一度でも視察に行ったところの地形などはすべて頭に入っている。

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