人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第41回 (2/2ページ)

週刊実話

ある県会議員などは、『君のところのあの川の川幅は、あと何メートル伸ばさなきゃいけないんじゃないか』などと逆質問され、田中が10年近く前に一度見ただけの場所の問題点を指摘され、『どんな頭の構造なんでしょう』とクビをひねっていたものだ。
 田中のすごいのは、こうした次から次への陳情客を相手にしながら、しっかりとその人物がその県でどの程度の実力者なのかを事前に調べ上げていたことにある。そうした実力者にはできるだけ要望を聞き入れることで、この幹事長時代に全国に有力人脈を築いたということだった。これが、後に指揮を執った数々の選挙で、圧倒的勝利を収めた大きな要因となっている」

 こうしたことがまた、強いては全国に「田中ファン」を増殖させ、やがては天下取りに結び付くことになる。田中の秘書にして愛人、常に傍らにいて二人三脚で政治行動をともにしていた佐藤昭子は、そのあたりのことを次のように語っている。
 「田中は、新潟3区(当時の中選挙区での地元)のことしか考えない地元利益第一の政治家のように言われたけど、とんでもない。新潟と同じように、経済的に恵まれない貧しい地方にどうやって陽を当てるか、全国津々浦々に目配りをしていた。また、そういった地方の問題や選挙のみならず、中央の人事、外交、内政に関わる国の重要課題も、時を移さず処理していった。霞が関の官僚たちも、風呂敷に包んだ書類を提げて事務所にやってくる。田中に説明しに来るのではなく、指示を仰ぎに日参してきたのです」(『新潮45』平成6年10月号)

 この佐藤は、かつて筆者がインタビューした折でも「田中が生涯の中で最も充実、生き生きしていたのが幹事長時代でした。まさに、水を得た魚。行動のひとつひとつが自信に満ち溢れていた」と証言している。
 一方、以前、当連載で田中が重要ポストに就くと不思議に難題が立ちふさがると指摘したが、なるほど1期目のこの幹事長時も同様であった。

 時に、最大の懸案は野党が徹底抗戦の構えを見せていた“日韓国会”を、どう乗り切るかにあった。佐藤首相は、「沖縄返還」とこの途絶していた韓国との国交正常化の二つを、戦後未処理の問題の中でも最も重要視していた。この国会での日韓正常化問題は、田中の真価、政治家としての今後が問われる場面だったのである。(以下、次号)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。

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