小池百合子 逆境ハネ返し「突破の女王」!!(7)小沢一郎を旗印に掲げる!

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小池百合子 逆境ハネ返し「突破の女王」!!(7)小沢一郎を旗印に掲げる!

 90年代後半、揺れる国政の中で奮闘する小池百合子が、新たな改革のパートナーに選んだのは小沢一郎。小池は、あらゆる手管を使って「怪しい裏方」という印象が強い小沢のイメージを一新、政治の表舞台へと担ぎ出す。小池の「突破力」は、いよいよ日本を動かしていく!

 国民の期待を受けてスタートした細川護熙政権だったが、94年(平成6年)4月8日、細川総理の辞任表明により、あっさり瓦解してしまう。後継は、細川内閣で副総理だった羽田孜だった。

 小池百合子は、その羽田政権の命運が今や尽きようという94年6月ごろ、新生党代表幹事の小沢一郎と初めて顔を合わせた。

「日本政治の負遺産をすべて背負っている男」それが小池の、小沢に対するそれまでの印象だった。

 小池には、日本新党党首の細川護煕前総理が以前言っていた言葉が妙に引っかかっていた。

「一番頼りになるのは、小沢一郎さんですよ」

 小池は、小沢がときおり「お嬢ちゃん」と呼びかけてくるのにムッとしながらも、話に耳を傾けた。

 腹の底から沸き立つ、日本の将来を憂う気持ちが伝わってくる。小沢は、小池自身が抱く危機感と同じものを常に抱いて行動している。周りの意見に耳を貸さない強引な政治手法も、その危機感から発していることが十分にわかった。政策的にも「改革」という共通項があった。

 小池は、マスコミや新党さきがけから伝わる情報をそのまま受け取り、色眼鏡で小沢を見ていたにすぎなかった。これほどまでに真実の姿をねじまげられている政治家も珍しいのではないか。細川の言った「一番頼りになるのは、小沢一郎」という言葉を、小沢と直に話すことで、初めて理解した。

 結局、94年6月30日、羽田内閣は総辞職し、村山内閣が誕生した。小池は、その後、日本新党や新生党などが合流し結成された新進党に参加、小沢と行動を共にしていくことになる。

 95年(平成7年)12月、小池が所属する新進党で、党首選が行われることになった。

 小池は、羽田政権末期に小沢に会った時から、この人こそ、激動期にリーダーシップをとれる数少ないリーダーだと思っていた。

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