【プロ野球】2017年、岩田稔(阪神)が子どもたちのために野球人生最後の復活にかける!

野球人生最後の復活にかける!

 2016年9月10日ヤクルト戦、神宮球場のマウンドに自らをコントロールできない岩田稔がいた。

 7回裏から登板した岩田は、ヤクルトの先頭・川端慎吾を遊ゴロに打ち取ったものの、山田哲人にこの日3本目となる本塁打を右翼席に叩き込まれ、完全に歯車が狂いだす。

 この回、1四球を挟み4連打を浴び、4失点の大乱調。岩田にとっては、久々に1軍登録された日に起こった悪夢であった。

 開幕からローテーションの4本柱の1人として金本知憲監督に期待されていた昨シーズン。最低でも2桁の勝ち星が岩田には課せられていた。

 しかし、ふたを開けてみれば、4月27日の巨人戦で3回1/3、6失点で信頼をなくし、翌日に降格されてから2軍暮らしが続いた。

 2013年にも岩田は不調を極めたことがあった。シーズンオフに米国に渡り、TRX(体幹をキープしながら他の動きも連動させるためのトレーニング法)を習得し、2014年は見事に復活を遂げた。

 しかし、2016年、重心をより低く置き、低めを意識して攻める投球フォームが崩れ、出口の見えないトンネルに迷い込んだまま1年が過ぎていった。

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■子どもたちに希望を与えるために

 これまでの野球人生において、いくつもの苦難を乗り越えてきた岩田。

 なかでも大阪桐蔭高時代、2年の冬に発症したⅠ型糖尿病はその後の野球人生に大きな影響を及ぼした。

 世間一般に言われる、主に肥満・運動不足・ストレスなどが原因で起こるⅡ型糖尿病とは違い、Ⅰ型糖尿病は、すい臓のβ細胞が壊れインスリンが突然分泌されなくなってしまう病だ。

 世間では糖尿病への認識不足からか、岩田自身も、高校卒業後の就職内定を取り消された経験を持つ。子どものころに発症することが多いため、岩田と同じ悩みを抱く子どもたちが多いのが実情だ。

 2005年ドラフトの自由獲得枠で阪神入団を決めたが、その理由が、「阪神は人気球団ゆえ、大きく報道されることが多いため」。

 これは、「自分が活躍することで同じ病を持つ子どもたちに生きる希望を与えられる」、そう考えた岩田の優しさであった。

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