「ボイン」誕生50周年!あの「癒しのバスト」に会いたい!(4)バスト乱世50年のヒストリア

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「ボイン」誕生50周年!あの「癒しのバスト」に会いたい!(4)バスト乱世50年のヒストリア

 二足歩行の人類にとって、進化した豊満な乳房を目にできるのは幸福なことだ。その象徴である有名人たちは、いくつもの歴史的な転換期を創造していた。

 故・大橋巨泉に初めて「ボイン」と命名され、偉大なる一歩を踏み出した朝丘雪路(81)は、かつて週刊アサヒ芸能に“その瞬間”を語っている。それは今から半世紀前、67年のことだ。

「一緒に『11PM』(日本テレビ系)の司会をやっていて、ある日、局の廊下で正面からぶつかったの。巨泉さん、私の胸に当たって、とっさに『ボインボイ~ンって感じだね』と言いながら後ろに倒れちゃったの。実際、当時は98センチのFカップあったのよ」

 月亭可朝が「嘆きのボイン」を歌い、故・小島功画伯が「ヒゲとボイン」を連載し、完全にボインという言葉が定着した。

 やがて70年代、日本初のポルノ女優と命名されたのが池玲子(63)である。東映の作品を中心に98センチの乳房を惜しげもなく披露し、コアな人気を誇った。82年の引退後、一切、姿を見せないのは寂しいかぎりだ。

 ドラマの「サインはV」(TBS系)や「傷だらけの天使」(日テレ系)で鮮烈な印象を残した中山麻理(68)もまた、70年代の忘れえぬセクシー女優。ハーフ特有の奔放な肢体は、いくつものハードな濡れ場で輝いた。

 三田村邦彦との泥沼の離婚騒動後、コンビニ店員をしているところを13年に報道されている。

 そんな70年代、アイドル歌手は「胸が大きくてはいけない」との不文律があった。小柳ルミ子やアグネス・チャンが当時、サラシを巻いて目立たなくさせていたのは知る人ぞ知る話だが、この牙城を破ったのが榊原郁恵(57)である。

 あまりにも健康的で、そしてふくよかなDカップのバストは、隠しておいてはもったいないとホリプロは考えた。積極的にグラビアを組み、テレビの水泳大会でも主役に押し込む。

 むっちりとしたアイドルに初めて日が当たった形だが、当の郁恵自身は「谷間にレンズの照準を合わせられるのがイヤだった」と、のちに語っている。

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