プロレス解体新書 ROUND44 〈信頼が結実した世紀の一戦〉 最強カレリンとの引退マッチ

| 週刊実話

 1999年2月21日、前田日明のラストマッチが横浜アリーナで行われた。相手は人類最強とも称されるロシアの英雄、アレキサンダー・カレリン。
 得意のカレリンズ・リフトで前田の体をオモチャのように投げ飛ばし、持ち前のパワーをいかんなく披露したその試合の裏では、さまざまな人間模様が交錯していた。

 日本のプロレス団体において、とかく付きまといがちなのが金銭トラブルの話。
 アントン・ハイセル事業で団体分裂を招いたアントニオ猪木の新日本プロレスはもちろん、健全経営とみられた全日本プロレスですら御大ジャイアント馬場の没後には、待遇への不満を主な理由として所属選手が大量に離脱している。
 「プロレス団体は興行で日銭が入ってくるため、どうしても『金ならどうにでもなる』という“どんぶり勘定”になりがち。また、看板選手が社長を兼ねることが多く、そのため『俺の顔と名前で稼いだ金だから』と、手前勝手に浪費してしまうケースも多々あります」(スポーツ紙記者)

 そんな中にあって、希少な存在といえるのが前田日明だろう。目立つ金銭トラブルとしては、新生UWFとビッグマウスラウドにおいて、それぞれ事務方の不透明経理を糾弾したぐらい。
 「周囲には前田の直情的な性向を嫌う人間も多いだけに、少しでも後ろ暗いところがあれば、きっと罵詈雑言の嵐となったはず。それでいて一切、前田個人の金にまつわる醜聞が出てこなかったのは、よほど身ぎれいだったという証拠でしょう」(同)

 金銭面における前田の堅実さは、これまで随所で見受けられる。
 旧UWF時代には、会社の収入増のため興行を増やすことを主張して、格闘技志向の佐山聡と対立。団体存続が立ち行かないと見るや、すぐに新日復帰を決断した。
 そもそも新日からUWFへ移ったのも「理想の実現のため」などではなく、「母親の入院により移籍金を必要とした」ことが理由だったという。

 リングスにおいても、試合を放送していたWOWOWとの契約が切れると、即座にリングスジャパンは活動休止。前田のネームバリューがあれば別口のスポンサーを募りつつ、借金でつなぎながら興行開催を続けることも十分に可能だったろうが、前田はそれをよしとしなかった。

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