【プロ野球】《センバツトリビアPart 2》アメリカに行きたいか!? センバツ史に名を刻んだ伝説のチームたち

センバツ史に名を刻んだ伝説のチームたち

 近年稀に見る打高投低といわれる第89回センバツ。この熱戦を制して、球史に名を残す偉大なチームたちと肩を並べるのはどの高校か? そこで本稿では、センバツ史にさまざまな形で名を刻んだ伝説のチームにまつわるトリビアについて振り返りたい。

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■プロでも活躍! 1000・2000試合目のメモリアルな一戦を戦った男たち

 今大会注目校のひとつ、といえば、21世紀枠で40年ぶり2度目の出場を果たした高知県立中村高校だろう。40年前の大会では、のちに阪急で最多勝にも輝くエース・山沖之彦を擁し、部員12人で準優勝。「二十四の瞳」として話題を集めた。

 奇しくも今大会、中村の4選手がインフルエンザに感染してしまい、12人で開会式に参加。「二十四の瞳、再び」として脚光を集めてしまった。

 そんな中村。実はもうひとつ、センバツ史に大きな足跡を残している。40年前の第49回大会(1977年)の準々決勝・対天理戦が、センバツ通算1000試合のメモリアルゲームだった、ということだ。

 ちなみに、大会通算2000試合のメモリアルゲームを戦ったのは、第81回大会の2回戦。花巻東対明豊の一戦。この試合、花巻東には西武で活躍する菊池雄星がいて、明豊にはソフトバンクの今宮健太がいた。プロでも結果を残す男たちは、高校時代から目立つ舞台を引き寄せていた、というわけだ

■優勝の瞬間はラジオ独占。テレビ中継されなかった決勝戦

 WBCの余波で、例年に比べるとどうしても注目度が下がってしまった感も否めない今年のセンバツ。目立ちたがり屋の球児がいたとすれば、試合結果以上に悔しい気持ちを抱いているかもしれない。

 だが、過去にはもっと目立てなかった例がある。それが1959年4月10日に行われた第31回大会の決勝戦だ。岐阜商(現・県岐阜商)対中京商(現・中京大中京)の一戦は3対2で中京商が勝利し、3度目の優勝を飾った。

 ところがこの1959年4月10日は、皇太子殿下(現・天皇陛下)と正田美智子さん(現・皇后陛下)の御成婚式。NHKのカメラやスタッフのほとんどが国民的一大イベントに駆り出され、決勝戦のテレビ中継がなくなってしまったのだ。

 本来、この大会の決勝戦は4月8日に行われるはずだった。だが、雨天順延のため2日延びてしまい、御成婚式とバッティング。テレビ中継はされず、NHKラジオでのみの中継に。優勝したのに決勝戦がテレビ中継されないという、悲運の高校となってしまった。

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