日本統治下の朝鮮に蔓延した「内地密航」が表す強制連行の虚構

| まいじつ
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韓国の『対日抗争期強制動員被害者連合会』(日帝強占期被害者全国遺族連合会)という団体が、ソウルと釜山、光州に『徴用工像』を設置しようとしている。

徴用工像とは、日本の朝鮮統治時代、労働者として強制連行されたという“不幸の像”のことだ。

しかし、当時の朝鮮総督府は、1922年12月5日に『府令第153号』を出し、渡航制限制度を撤廃している。それでも、韓国から日本への密入国が殺到したことから、朝鮮総督府と日本の警備当局が協議し、再度の渡日制限を敷いた。働けば対価が自分のものになる“夢の国・日本”を朝鮮の人々は目指したのだ。

1925年の在日朝鮮人は13万人弱だったのに対し、1933年には46万人にまで増加した。1930年代に入って密航は激増し、毎日のように摘発されるようになった。

このため、1934年の岡田啓介内閣は、朝鮮人の密航の取り締まりを強化するために、『朝鮮人移住対策ノ件』を閣議決定した。それでも密航は止まらなかった。日中戦争に突入後の1938年4月、国家総動員法が成立し、翌年の7月『国民徴用令』が施行されたが、それは内地の日本人に対してであり、朝鮮には適用されなかった。財閥など内地企業が自由に朝鮮人労働者を募集できるようになったのは、そののちのことで、これを“統制募集”と言う。

しかし、“内鮮一体”のスローガンの下で、朝鮮人の渡日取締撤廃と規制緩和を要求する声はしだいに大きくなり、こうしたことから1934~1937年までの渡日者数は10万人を超えるようになった。

最終的には210万人にまで増加

「1942年2月からは、朝鮮人に対して『官斡旋』が始まったのは事実ですが、これは強制ではなく、斡旋に応じるか否かは自由、日本での転職も自由でした。

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