池井戸潤が最新作「アキラとあきら」を語り尽くした!(2)バブルの最中は両極端だった

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池井戸潤が最新作「アキラとあきら」を語り尽くした!(2)バブルの最中は両極端だった

 そして、もうひとつのキーワードは、舞台となった時代。瑛と彬は、ともに1963年生まれの設定で、これは池井戸氏と同じである。彼らはバブル期の真っただ中に社会人となり、さらにはその崩壊の後始末を引き受けることになるよう運命づけられている。

「子供時代から書き起こしていくとなると、他の時代はやはり書きづらい。間違えずに書けるのは自分の同年代だし、そうあるべきだと思いました。バブル期を扱う上で大事にしたのは、あの時代の社会を覆っていた熱のようなものを、きちんと書くことですね。どこか浮かれた感じの雰囲気は、やはりあの時期独特のものなのだと思うので」

 自身も社会人として過ごした、狂乱の時代。銀行ものの先行作で、やはりバブル期に入行した銀行員の奮闘を描いた「半沢直樹シリーズ」も、勧善懲悪の痛快な物語の裏に、宴のあとの虚しさをはらんでいた。本作はその手前、まだ渦中にいる人々の物語である。

「バブルの最中は、彬の父親のように『いつかは終わる』と冷静に見ている人と、その弟たちのように『いやいや、まだまだ』と突っ走る人が両極端でした。相場は誰にも予測できないものですが、経済活動にせよ何にせよ、必然的なことをきっちりやっている人は間違わない。その意味で、彬の一族は余計なことをして、道を誤ってしまうんです」

 叔父たちの引き起こしたリゾート事業投資への失敗で、東海郵船は経営危機に陥り、同時期に父を亡くした彬は混乱の中、家業を継ぐ。瑛は、銀行の担当者としてそれを助け、二人は力を合わせて難局に立ち向かっていく。その結末は読んでのお楽しみだが、バックボーンにあるのは、「それでも生きていく」人々と時代へのエール。作中、銀行幹部が発する〈相手を見て生きた金を貸すのがバンカーだ〉〈バンカーの貸す金は輝いていなければならない〉からも、同時代を生きた氏ならではの、愛惜と叱咤が感じられる。

「バブルも、あのまま続けば、よかったんでしょうけどね。今は世の中全体が縮小してしまって、地味でギスギスした感じ。銀行員にしても、以前は向こう傷を問わないというか、仕事を拡大すれば褒められる雰囲気があったけれど、今はそんな雰囲気でもないようです。

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