百人一首のピュアな恋の歌は、実は不遇の生涯を送った廃帝・崇徳院の執念の歌?

| Japaaan
百人一首のピュアな恋の歌は、実は不遇の生涯を送った廃帝・崇徳院の執念の歌?

悲劇の廃帝が残した、ピュアな「恋の歌」

「百人一首」には多数の「恋愛」を歌った歌が取り上げられ、その中に、不遇の生涯を送った廃帝・崇徳院の歌があります。

瀬を早み 岩にせかるる 瀧川の われてもすえに あはむとぞ思ふ
(岩にせき止められた川の瀬の急流が、2つに別れても再び合流して1つになるように、愛しいあなたと今は離ればなれになっていて会えなくても、いつか必ず再会しようと思う)

遠距離恋愛中の彼女が彼氏からこんな言葉を贈られたら、さぞかし感激することでしょうね!自分の舌を噛み切った血で呪いの言葉を記し、爪も髪も伸ばし続けて妖怪のような姿で亡くなった廃帝が詠んだとはとても思えない、実に情熱的でピュアな恋の歌です。

しかし、この歌の作者のバックボーンを知ると、これは本当に「恋の歌」だったのか?という疑問が浮かんできます。

本当は恋の歌ではなく、京への執念の歌?

崇徳院は、大変な不遇の生涯を送った天皇でした。

画像出典:Wikipedia

父である鳥羽上皇から疎んじられ、早くに譲位を迫られ、後に反乱を起こすも敗れて讃岐へ流され、二度と京の地を踏むことなく亡くなった天皇です。

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