天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 岸信介・良子夫人(下)

| 週刊実話

 岸家の系譜を見ると、鳩山一郎のそれが秀才揃いだったと同様、こちらもとんでもない秀才揃いだった。戦後政治史を振り返ってみると、この岸、鳩山一族が“二大秀才一家”となる。
 岸信介は東京帝国大学を主席で卒業。成績平均点は89.1で、それまでの東京帝大卒業生の最高点であった。また、岸の兄・市郎は海軍兵学校から海軍大学を出て中将までいったが、兵学校での成績平均点はじつに97.5、「海軍有史以来の秀才」と言われた。弟でのちに首相となる佐藤栄作も、五高から東京帝国大学を卒業している。ただし、岸の孫となる安倍晋三現首相だけは小学校から大学まで「成蹊」で学ぶなど、“異質”と言える。

 さて、まれに見る秀才だった岸は大学卒業後、農商務省に入り、トントン拍子で出世したうえ、44歳の若さで東条英機内閣の商工大臣になったが、大臣になる前は満州重工業の実業部に所属するなど、「満州国」経営の経済的基盤を築いている。満州を支配したのは「二キ三スケ」と言われ、「二キ」とは東条英機、星野直樹が政治面で、「三スケ」の満鉄総裁の松岡洋右、満州重工業の鮎川義介と岸が、経済面でラツ腕をふるった。岸はそのときまだ39歳、いかに“出来ブツ”かが分かろうというものである。
 その岸が政界入りしたのは、昭和28年4月の総選挙だったが、選挙区は旧山口2区。この選挙区には、すでに4年前に初当選を飾った実弟の佐藤栄作がおり、“骨肉の争い”を演じたのだった。当時の選挙戦を知る関係者の証言がある。
 「岸と佐藤は兄弟と言えど選挙戦は別、不倶戴天のライバルと化し、血みどろの戦いを演じた。佐藤陣営が『岸は戦犯だった!』とブチ上げれば、岸陣営は『佐藤は“造船疑獄”の汚職でわが郷土に泥を塗った!』とフレ回るといった具合だった。奥方はどうだったかと言えば、佐藤の寛子夫人はトラックの上で堂々の演説をやってみせたが、一方の岸の良子夫人はひたすらおじぎをするだけだった。結局、選挙戦は“演説”より“おじぎ”が制し、岸が佐藤より上位で当選を果たした。ソツのない夫に従っていれば間違いないという良子夫人の心得がうかがえたものだった」

 こうした“日本型女房”の一方で、良子は相当のハラのすわりも見せている。

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