【高校野球】新潟の名将が今夏限りで退任。日本文理・大井道夫監督の夏の甲子園での戦いを振り返る

日本文理・大井道夫監督の夏の甲子園での戦いを振り返る

 8月1日に仙台育英が宮城大会を制し、これで夏の甲子園に出場する49校が出揃った。7日に開幕を迎えるが、そのなかで今夏をもって監督を退く指導者がいる。新潟・日本文理の大井道夫監督だ。

 これまで春5回、夏8回に甲子園へ出場し、2009年には新潟勢初の準優勝など、野球後進県と言われた新潟の高校野球のレベルアップに貢献してきた。そんな大井監督の甲子園での戦いぶりをあらためて振り返ってみたい。

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■初めての甲子園は大敗

 大井監督は新潟文理(当時)の監督に就任したのは1986年のこと。就任5年目の1990年から2年連続で夏の新潟大会ベスト4、1993年には初めて決勝に進出と甲子園を狙えるレベルにまで野球部を強化してきた。そして1997年、前年の優勝校・中越を4対2で破り、初の甲子園出場を決める。

 甲子園で対戦したのは和歌山の強豪・智辯和歌山。日本文理は智辯和歌山の先発・高塚信幸(元近鉄)から初回に2点、2回に3点を奪い、2回表を終えて5対0とリードする。しかしその裏、智辯和歌山の反撃に遭い、一挙6点を失い5対6に。すかさず3回表に同点とするも、3回裏に勝ち越されて、試合は智辯和歌山のペースとなる。

 強豪相手になんとか食らいつきたいところだったが、5回裏に6失点。以降は毎回失点を喫し、6対19で敗れた。その後、勝ち進んだ智辯和歌山はその強力打線を武器に全国制覇を達成する。大井監督が「甲子園は、打てなくては勝てない」と実感した試合となった。

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