大阪城よりも立派に…江戸城に使われた最新式の建築方法とは?

| Japaaan
大阪城よりも立派に…江戸城に使われた最新式の建築方法とは?

江戸城は多くの人の労働力と知恵があってこその完成でした。

天下一の江戸城の築城、城作りでの様々なトラブルは労働力と知恵で乗り越える!

今回は、江戸城に使われた最新式建築などをご紹介します。

大阪城より立派な江戸城を作りたい

家康や秀忠は天下をとったものの、まだその地位は安泰とはいえず油断はなりませんでした。大阪城には豊臣秀頼がいたので、天下を狙ってくるおそれがあったのです。そこで徳川家は、大阪城の建築にくわしい中井正清を招いて、江戸城を大坂城より立派な最新式建築にしようと考えました。この中川正清の父親は、秀吉の大坂城の棟梁だったそう。息子の正清は、奈良の法隆寺大工出身で、二条城や伏見城の建築も手掛けていました。そうした経緯を考えると、江戸城の改修を正清に任せるのも自然なことかもしれません。

江戸城に使われた最新式建築とは?

中川正清が採用した建築方法は、本丸の中央にある大天守の東側-北側-西側に小天守をたてまわす「環立式」天守です。本丸の中に「天守丸」という郭ができたことで、敵に攻め込まれることもありません。これは、心強いですね。

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