大阪城よりも立派に…江戸城に使われた最新式の建築方法とは? (2/2ページ)

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「江戸御城之絵図」東京都立図書館 江戸東京デジタルミュージアム

この環立式の大天守は、これまでにない規模の高層建築なので、工事もかなり大掛かりなものになったようです。大天守台は本丸より10間(約19.7m)の高さで、この上に22間半(約44.3 m)の高さの大天守が組み上げられたのですから圧巻です。さらに江戸城の内部には穴蔵(地下1階)もありました。

「江戸御城御殿守正面之絵図」東京都立図書館 江戸東京デジタルミュージアム

地上84mくらいの大天守は、街の中でもひときわ目立っていたでしょう。屋根瓦は、土瓦でなく金属瓦にし、風雨にさらされても大丈夫なようにしました。金属瓦が使用されたのは、江戸城が初めてだったようです。

江戸城完成後も攻めたてる徳川家

ひとまず江戸城が完成したところで、家康は駿河国安倍郡府中、現在の静岡県静岡市にも隠居用に駿府城を築き、さらに名古屋城も築きます。どちらの工事も、江戸城と同じく中井正清が手がけました。名古屋城の完成で、江戸幕府の大城郭は、伏見城・二条城・江戸城・名古屋城・駿府城の5つに!勢力を増す徳川家は、大坂城にいる豊臣秀頼にとっては脅威そのもの。大阪城を攻めたてる万全の体制を作った家康と秀忠は、大坂冬の陣を開戦、和議を経て、ついに1615年大阪城を落城!こうして豊臣家は滅びたのです。

「大阪城よりも立派なものを」という考えにこだわった徳川家。中井正清の力を借りて強大な城郭を次々と建設し、大阪城落城という目標を達成できたのです。それは、安土桃山時代の終わり=江戸時代の始まりでもありました。

Images:「江戸・東京デジタルミュージアム」古きをたずねて、新しきを知る。|東京都立図書館

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