ヨネクラジム「チャンピオン虎の穴」55年記(3)「オレ一代で終わり」と…

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ヨネクラジム「チャンピオン虎の穴」55年記(3)「オレ一代で終わり」と…

 大橋氏は、入門と同時に英才教育を受けることとなった。米倉会長の自宅からわずか100メートル先の寮に住み、毎朝6時に始まるロードワークからジム内でのトレーニングまで、徹底的に管理された。食事は会長夫人が作る栄養バランスの取れたメニューをごちそうになった。隣にはいつも米倉会長がいた。まさに「虎の穴」とも言える徹底した管理トレーニングで、肉体を鍛え直したのである。

 鳴り物入りで入門した大橋氏にとって、ヨネクラジムの練習メニューはハードだった。腹筋、背筋といった筋力トレーニングの回数も、アマ時代とは一桁違ったという。また、合同練習であるがゆえに、叩き上げの同僚選手たちが、エリートの大橋氏に負けてたまるかと必死にメニューをこなす姿が目に入る。気を抜く暇はなかった。

「練習もプライベートもすごく厳しかった。食事中に『音を立てて食うな』と怒られたこともあります。花形ジムだったら、花形さんの人柄から、そこまで管理されることはなかったでしょう。それに地元・横浜だから、たぶん遊んでたはずです。それを考えると、あの厳しさがあったからチャンピオンになれたと思いますね」(大橋氏)

 大橋氏は現役引退後、大橋ジム会長として4人(女子を含む)の世界王者を誕生させ、10年から16年まで日本プロボクシング協会の会長も務めている。

「現役時代から、米倉会長にはボクシングの技術以外のこと、ファイトマネーの話やスポンサーとのつきあい方など、細かいことをたくさん教わりました。恐らく、僕が将来、ジム経営者になることを予測していたんでしょうね」

 そんな米倉会長が体調を崩して入院したのは今年3月。程なく、8月いっぱいでの閉鎖が発表された。ガッツ氏が無念の表情で惜別の思いを語る。

「会長の体調がすぐれず、医師である息子さんも後を継ぐ意志がないことは、以前から聞いていました。会長は私の現役時代から『オレ一代で終わり』と話していたんです。ご自身が実践したような情熱を傾けての指導は、自分以外にはマネできないと考えていたのでしょう。有言実行でスパッと辞める潔さは、会長らしい美学だと思いますね。7月に、ヨネクラの後輩たちと一緒に、栃木県内の静養先へ見舞いに行ってきたんです。体もいたって元気。

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