天才テリー伊藤対談「川地民夫」(3)小林旭はとにかく負けず嫌いだった

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天才テリー伊藤対談「川地民夫」(3)小林旭はとにかく負けず嫌いだった

テリー 川地さん、当時は相当稼いでいたでしょう? だって、あの頃の映画スターですからね。

川地 金なんか一銭もないですよ。映画に出て、終わっても「ご苦労さん」って20万かそこら渡されるだけですから。

テリー 当時の20万って、今だと200万ぐらいじゃないですか。あの頃の初任給って1万~2万ですから、やっぱり相当なものだと思いますけど。

川地 でも、当時の映画会社で考えると、日活はすごく安いんですよ。あれだけの人気者だった裕次郎でさえ、1本100万だったんだから。

テリー それでも安いほうなんて、ちょっとレベルが違いすぎるな(笑)。川地さんは、お金を何に使っていたんですか?

川地 飲み屋ですね。銀座に行ったり‥‥考えてみたら、あの頃は飲み屋も高かったんだね。1軒4~5人で行ったら、やっぱり10万~20万は払ってたから、ほとんど残らないですよ。

テリー 当時、誰とよく飲んでいたんですか?

川地 年中一緒に遊んでいたのは、沢本忠雄。日活に入った時には、沢本、小林旭と僕で「三悪トリオ」なんていうくくりで売り出されましてね。

テリー ありました、ありました。

川地 その頃の裕次郎の愛称が「タフガイ」で、二谷英明が「ダンプガイ」、のちに旭も「マイトガイ」になった。

テリー 日活の男性スターの愛称は、「ガイ」で統一されていましたね。

川地 それで、僕と沢本で「俺たちは“何ガイ”ですか?」って日活に聞きに行ったの。そうしたら「問題外だ」って(笑)。

テリー アハハハハハ! しかし、当時の日活にはいろいろ個性的な役者がいましたよね。

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