今大会で史上初の2度目となる春夏連覇を目指す大阪桐蔭。達成されれば夏の優勝回数は史上3位タイの5回目となる。そして、現在その3位につけているのが、春の選抜でも2度の優勝を誇っている古豪・松山商(愛媛)である。
実は松山商は夏5度の優勝のうち、決勝戦で4度の死闘を制してきた。この夏は100回大会記念ということで夏の甲子園関連のテレビ番組が多いが、その中で必ずといっていいほど取り上げられる名場面・名勝負に1996年第78回大会決勝の熊本工戦の“奇跡のバックホーム”がある。
3‐3の同点で迎えた延長10回裏に1死満塁で一打サヨナラのピンチ。ここで熊本工・本多大介の放った右飛はサヨナラの犠飛には十分な距離だったが、守備固めに入ったばかりの矢野勝嗣が本塁へ距離約80メートルの大遠投。決勝点を狙った三塁走者を刺したプレーである。これで息を吹き返した松山商が12回表に3点を取り、6‐3で夏5度目の優勝を飾ったのだった。
最初の夏の優勝は1935年第21回大会。この時の決勝戦は育英商(現・育英)相手に6‐1で快勝したものの、2度目以降は接戦の連続となった。50年の第32回大会は戦後の学制改革で松山中等学校と合併していて、松山東高校として出場。その決勝戦は鳴門(徳島)との四国対決となる。
試合は4‐4の同点で迎えた7回裏に打者13人攻撃で一挙7得点。これで決まったかと思われたが、8回表に反撃を許し、最後は12‐8という壮絶な打撃戦を制しての栄冠となった。この2年後に松山東から商業科が独立し、ふたたび松山商となる。その松山商で3度目の優勝を果たしたのが、53年第35回大会。決勝戦は土佐(高知)という再度の四国対決となった。
初回にいきなり2点を奪われる苦しい展開も、ようやく8回表に1点を返し、松山商が反撃に出る。同点に追いついたのは9回2死からだった。連打でチャンスをつかむと打席にはエースの空谷泰(現・児玉泰。元・中日など)。この空谷の打球は中飛の当たりだったが、甲子園特有の浜風に押し戻され、二、中間にポトリと落ちる幸運な同点打となったのだ。これで息を吹き返した松山商は延長13回裏に勝ち越しタイムリーが飛び出し、ついに1点をリード。