かの偉人たちに学ぶ「歴史的健康術」(5)<幕末~明治の英傑>山県有朋「海水風呂」

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かの偉人たちに学ぶ「歴史的健康術」(5)<幕末~明治の英傑>山県有朋「海水風呂」

 幕末から明治。激動の時代の英傑たちのエネルギーは凄まじかった。ただし、それを支えた健康法は、人それぞれのくふうがあったようだ。

 慶應義塾の創設者・福沢諭吉は著書「学問のすゝめ」で、英語の「health」を「健康」と和訳し、「健康」という概念を一般に紹介。そして積極的に運動を行って、病気にかからない体作りを提唱したのだ。

「彼は朝の散歩と米搗(つ)きを欠かしませんでした」(植田氏)

 朝の散歩と中津藩士時代以来の居合抜きで体を鍛えたのだ。66歳で没しているが、亡くなる前まで激しい運動を続けていた。

 一方、早稲田大学の創始者である大隈重信も、独自の健康論を展開していた。「人間は生理学的に125歳まで生きられる」と唱え、早寝早起きをし、激しい運動は避けて「ストレスをため込まない生活」を続けた。

 76歳で第2次大隈内閣を組閣した際のインタビューでは、こう豪語している。

「しゃくに障る時は風呂に入る。当世の人のようにせっけんを用いないで、昔風に大袋にぬかを入れてゴシゴシ体を摩擦すると、自然にかんしゃくがやわらいでくる」

 これが、亡くなる83歳まで“現役”を貫き通した秘訣だったようだ。健康面での早慶戦は動の慶應、静の早稲田といったところか。

 ところで、永山氏が語ったように、セックスと健康は切り離せない。好色こそがエネルギー、健康の源と豪語していたのは、初代総理大臣・伊藤博文である。68歳でハルピン駅にて暗殺されるまで、まさに“英雄色を好む”人生だった。

 女が掃いて捨てるほどいたため「ほうき」というあだ名がついたほど。性科学を研究、性の歴史にも詳しいセックスコンサルタント・秋好憲一理学博士が解説する。

「彼は次々と芸者に手をつけ、しかも自宅に連れ帰る。なんせ帰宅途中の馬車の中でもコトに及んだというから、その絶倫ぶりがうかがえます。

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