天才テリー伊藤対談「脳みそ夫」(2)パチプロ時代の話おもしろすぎるよ

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天才テリー伊藤対談「脳みそ夫」(2)パチプロ時代の話おもしろすぎるよ

テリー そもそもお笑いへの道を歩み始めたのは、法政大学の時に入った落語研究会がきっかけらしいね。

みそ夫 僕なんかはその中でも色物で、コンビを組んで漫才やコントをやっていたんです。それを浅井企画の方が見てくださって、当時、お誘いもいただいたんですが、お断りしたんです。

テリー えっ、普通だったら大喜びでしょう。

みそ夫 端的に言えば、当時は自信がなかっただけなんです。もちろん、お話をいただいた時は「やったっす!」と言いたいくらいにうれしかったんですけれども、「人間と人間が組んだコンビが無数にいる中で、あえて僕らがやる意味なんてあるのかな」なんて思ったんですよ。

テリー でも、お笑いはやりたかったんだよね?

みそ夫 その時、ちょうどパチプロにもなりたかったんですよ。なので、就職もしないで、しばらくはパチンコで生活していたんです。

テリー お笑いとパチンコをてんびんにかけて、パチンコを選んだと(笑)。俺、全然賭け事に疎いんだけど、パチンコって実際のところ、儲かるの?

みそ夫 その時はパチンコだけで、普通に生活できていました。

テリー ええっ、そんなに稼げちゃうものなんだ。

みそ夫 パチンコ業界も、わりと好景気だったので‥‥。

テリー そんなに稼いじゃうパチプロは、店にとってはやっかいじゃない。追い出されたりはしないの?

みそ夫 やんわりと注意されることはありましたね。例えば、普通、球は1発だけしか当たり=賞球口に入らないんですが、ハンドルを細かく操作すると2発入れられるテクニックがあるんですよ。それをやっていると、「うちでは禁止だから」なんて言われたり。

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