田中角栄「名勝負物語」 第三番 石原慎太郎(4)

| 週刊実話

 これまで例のなかったなんとも目まぐるしい“政界遊弋史”を刻んできた石原慎太郎は、平成11(1999)年、かつて一度は敗北した東京都知事選に再チャレンジ、今度は当選を果たした。

 在職中、定例記者会見をジャンパー姿でやるなどのほか、都職員給与カットを要求して「自殺したり、ホームレスになるよりはいい」、火山活動が続く三宅島視察の翌日には都職員を「木っ端役人」、練馬駐屯地での自衛隊記念式典では「三国人」と発言するなど、怖いモノなしの“石原流”は変わらなかった。一方で、横田基地の全面返還などに意欲を示したものの、ディーゼル車の排ガス規制実施以外、その実績は必ずしも評価の高いものとは言えなかった。特徴的だったのは、国政を意識した活動が多かった点であった。

 この完全燃焼し切れなかった都知事のイスを辞したあと、石原はまったく突然に『天才』と題した田中角栄“激賞”本を出版、大きな話題を得た。あれだけ田中批判に体を張った感のあった石原が、一転して「未曽有の天才」「希代の政治家」と手放しだったからだ。例えば、その『天才』では、次のように記している。少し長いが、抜粋してみる。

 「彼ほど先見性に富んだ政治家は存在しなかったということを、痛感させられた。現在のこの国の態様を眺めれば、その多くが彼の行政手腕によって現出したということがよく分かる。私が東京という首都を預かる知事になって試みながらかなわなかったことの数々は、もし彼が今なお健在であり、彼に相談を持ちかけたなら、かなえられたかも知れぬとつくづく思う。私を若い友人として付き合いをしてくれた佐藤栄作にしろ、異例の抜擢で閣僚に据えてくれた福田赳夫にせよ、田中角栄ほどの異形な存在感などはありはしなかった。

 いずれにせよ、私たちは田中角栄という未曽有の天才を、(ロッキード事件で)アメリカという私たち年来の支配者の策謀で、失ってしまった。歴史への回顧に、もしもという言葉は禁句だとしても、無慈悲に奪われてしまった田中角栄という天才の人生は、この国にとってじつは掛け替えのないものだったということを改めて知ることは、決して意味のないことではありはしまい。

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