田中角栄「名勝負物語」 第三番 石原慎太郎(4) (2/3ページ)
この歳になって、田中角栄の凄さが骨身にしみている」(要約)
都知事として国政を意識した活動が多かった石原の、自らが「田中角栄」になれなかったゆえの無念さがにじむ文章でもある。
そして、田中角栄に“陥落”した決定的なこんなエピソードを、『天才』ほか他の著作、発言でもこう披露している。
★カブトを脱いだエピソード
「角さんが退陣したあとの昭和52年秋口、スリーハンドレッドクラブ(茅ヶ崎市)のゴルフ場にあるテニスコートでテニスをしてクラブに引き揚げたとき、仲間の参院議員と角さんがいた。私もびっくりして、まずいなと思って仕方なく一礼したら、角さんはいかにも懐かしげに、『おお石原君、久し振りだな。こっち来てすわれよ』と言い、自分から立って窓際からイスを持ってきて自分の横に据えてくれた。私が『いろいろご迷惑をおかけしてすいません』と頭を下げたら、『ああ、お互いに政治家だ。気にするな。ここに来てすわれよ。まあ、ちょっと付き合って一杯飲めよ』と。
自ら立ち上がって近くにいたウエイターに言うんだ。『おい、ビールをもう一つ』。この人はなんという人だろうと、思わずにはいられなかった。私にとっては、あれは他人との関わりで生まれて初めての、おそらくたった一度の印象的な出会い、経験だった。角さんは好きだね。私は、あの人が好きだったんです。関心がありましたもの。関心があるというのは、好きになる前兆なんじゃないのかな。人間の人生を形づくるものは、何と言っても他者との出会いにほかならない」(要約)
石原慎太郎、只今86歳。田中角栄が病魔に倒れ、政治的影響力を喪失してから33年の歳月が流れている。田中と石原、長く距離を置いていた二人の“寵児”の関係とは何だったのか。
途中、政治家としての挫折はあったものの、ほとんど実人生の苦労を知らずにスター街道を走り抜いた石原。対して、田中は貧窮の中で地べたを這い、叩き上げで政界の頂点にのぼった。そこには、いみじくも先に石原が述べているように、実人生とは人との出会いにあることが浮かび上がる。そこから、人間の本質、政治の本質が見えてくるのである。
石原には、小説家と政治家の“乖離”が残念ながらつかめなかったとも言えた。