東日本大震災ではやむなく土葬もしたというが、そもそも土葬はやむなく行うものか

| 心に残る家族葬
東日本大震災ではやむなく土葬もしたというが、そもそも土葬はやむなく行うものか

日本における葬送の方式はほぼ火葬であるが、2011年の東日本大震災は未曾有の大災害であり、火葬が間に合わず、やむなく土葬にしたことが少なくなかったという。人一人を灰にするのは大変な火力が必要であり、火葬を行うことのできる施設の数は限られている。2万を越す遺体は土に還すしかなかったのである。しかし土葬は「やむなく」行うものなのだろうか。現代ではほとんど失われている土葬というものを少し考えてみる必要がある。

■死者を見送る作法

宗教学者の山折哲雄は、近年では「葬送」の代わりに「告別」という言葉を使い、死者を他の世界に送るための儀式ではなく、別れを告げる儀式になったとし、「死」から目をそらし死者と向き合っていないと指摘する。

山折は葬儀の個別化・個人化についても憂慮の念を示す。病院から火葬場に直行する直葬を葬儀というより「死体処理」に近いと批判。さらに遺影も普段着を着てスナップ写真のようなものが選ばれていることに対し、生き残った側のエゴを感じるとしている。ここでも死から目をそらし「生」に執着しているというわけだ。こうした中で山折は死に向き合う、死者とのきずなを取り戻す方法であると、土葬を再評価している。

■土葬の再評価

朝の紅顔 夕の白骨(蓮如)とはよく言ったものだが、強力な火力で一気に肉体を消滅させ骨だけにしてしまう火葬は人の一生の「無常」を感じさせる。一切は「空」であり、永遠に続くものはない「無常」を説く仏教が火葬を推したのは頷ける。

これに対し、仏教・神道と共に日本人の精神形成に大きな影響を与えた儒教は肉体を軽視する仏教を批判し、火葬についても親から頂いた大切な身体を傷つけるのは大罪であるとして断罪した 。

土葬は自然の摂理に任せてゆっくりと時間をかけて土に還していく。遺体が腐敗し、やがて分解され土と一体化していく様は「還る」という言葉に相応しい。土葬に比べると火葬には「還る」プロセスが少ない。死、死者と向き合うという意味で土葬はより自然に近い。


■火葬が定着した事情

そういった中でも日本では火葬が定着している。火葬は遺体が煙と化して虚空と一体化するため、自然に還る趣を感じる。

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