東京都の真ん中を横断する電車・中央線は今年、前身の甲武鉄道開業から130周年を迎えた。
開通は1889年4月11日。新宿~立川駅を一直線に走るルートは、紆余曲折あってのものだったようだ。その開業に賭けた挑戦者たちの葛藤を描く『中央線誕生 東京を一直線に貫く鉄道の謎』(中村健治著、交通新聞社刊)には、知られざる中央線の誕生物語がつづられている。
中央線といえば一直線のルートだ。実際に、新宿駅から東中野駅までは大きくカーブを描いているが、中野駅から立川駅までは東西に直線が続く。なぜこんな軌道なのか疑問に思ったことはないだろうか。
この背景については諸説あるようだが、本書では“猛烈な敷設反対運動”説があげられている。
当時、日本各地の鉄道の敷設計画に対し、沿線住民から反対の声をあがっていたが、それは甲武鉄道も例に漏れなかった。甲州街道・青梅街道沿いの中野・杉並の村々から、農業への影響や街道の活力低下などの理由で反対の声があがった。
ただ、甲武鉄道は「早期開業優先」だったため、山や川、岩場といった障害物がほとんどなく、集落が少ないため買収に伴うトラブルも現実的なルートとして、「一直線ルート」が取られたというのがこの説だ。
ただ、最近では、反対運動はなく、地形などから一直線ルートに決めたとする説も多いと著者は付け加えている。
■埼玉県? 間違われた立川駅本書に掲載されている開業時の駅のエピソードも面白い。そのいくつかをご紹介しよう。
〇間違われた立川駅開業前日の4月10日、ある大新聞が「埼玉県立川駅までの線路は落成し…」と開業予告の記事を掲載したが、立川駅は埼玉県ではないため、これは誤報である。「『単なるひとつのローカル線が開業する』程度の、ニュース価値しかなかったのだろう」と著者。ちなみに当時、立川駅がある地域は神奈川県北多摩郡に属しており、今は言うまでもなく東京都立川市である。
〇観光客を見込んで生まれた中野駅開業当初からある中野駅だが、新井薬師梅照院や堀之内妙法寺の参詣客をあてにしていたそうだ。