煽石(天然のコークス)を発見し、その利用方法を生み出した村上久三郎

| 心に残る家族葬
煽石(天然のコークス)を発見し、その利用方法を生み出した村上久三郎

福岡県北九州市若松区と戸畑区とを結ぶ、真紅の若戸大橋からほど近いところに、若松恵比須神社がある。約1800年前、熊襲平定に向かった神功皇后が洞海で光る石を海底から引き上げ、御神体として航海の安全を祈願したという鎮座の由来を持ち、漁業・海運・商売の神を祀るこの神社の片隅には、明治22年7月に建てられたという白い石碑が据えられている。この石碑は元々、内陸部に位置する修多羅新倉、或いは若松港周辺にあったとされるが、いつの間にか若松恵比須神社の境内に移され、今日に至っている。石碑に刻まれているのは、村上久三郎(1818〜1879)という人物だ。

■石炭を発見し採掘した村上久三郎

石碑や明治〜大正期のジャーナリスト・辰巳豊吉によると、村上久三郎はもともと、筑後の久留米出身だった。その後、肥前長崎に移ったが、34歳で肥後天草へ行き、石炭を発見し、採掘した。現在の日本国内において、石炭を産出する炭鉱が存在しないことから、リアルに「石炭」を生活の中で認識する機会がほどんどない我々は、時に「炭火焼肉」などで用いられる「炭(すみ)」こと「木炭(もくたん)」と「石炭」とを混同しがちであるが、「石炭」とは、紀元前2億4000万〜3億年前頃、今日のトクサやシダ類の祖先である隠花植物が地中に埋没し、物理的・化学的作用を長きに渡って受けて生じた、主として炭素質からなる可燃性の岩石状物質のことだ。

一方の「木炭」は、木材を「炭窯(すみがま)」などで熱し、炭化させた燃料を指す。もともと石炭は、貝原益軒の『筑前國續風土記』(1709年)に記されているように、江戸期の福岡藩の「名産品」のひとつで、村人たちが薪の代用として用い、現在の筑豊地域に充当する、遠賀郡・鞍手郡・嘉麻郡・宗像郡の山間部によく見られていたものだった。

■さらに煽石も発見した村上久三郎

天草での久三郎は、石炭のみならず、通常の石炭とは違う石を発見した。そこで久三郎は家産が傾くほどの私財を投じて東奔西走し、4年間の苦心を重ね、その石を、石灰を焼くための燃料として用いる方法を発明した。そしてそれを煽石(せんせき)と名づけ、多くの人にその方法を伝授したという。

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