田中角栄「怒涛の戦後史」(11)内閣総理大臣・池田勇人(中)

| 週刊実話

 池田勇人首相は、当初、しごくご機嫌であった。自民党最大の「圧力団体」だった日本医師会と、医療費の診療報酬をめぐって対立、膠着状態に陥っていたものを政調会長に抜擢した田中角栄が両者手打ち、落着に持っていったからであった。田中もまた、してやったりで高揚感に満ちていた。

 しかし、好事魔多し。政調会長就任から約半年後の昭和37(1962)年2月、折から来日中のロバート・ケネディ米司法長官と、田中ほか12人の自民党議員が、今後の沖縄返還問題について懇談した。そのとき田中がケネディに向かってしゃべった話の中身が、“オフレコ懇談会”であったにもかかわらず、どうしたものか翌日の新聞にスッパ抜かれたのだ。いずれにせよ、参加していた議員の誰かが漏らしたことになるが、中身が大問題だった。

 田中いわくのそれは「現在、日本国内では沖縄返還の要望が強いが、米国としては日本の憲法に核兵器禁止などの制約があることから対中・対ソ(現ロシア)との軍事的見地を鑑み、返還できないものだと考える。したがって沖縄返還の一つの方法は、米国が返還の前提条件として、日本に対して早急に憲法を改正し、再軍備を進めるよう提起したらどうか」というものだった。

 さぁ、大変である。これが真意を伝えているなら、大失言となる。新聞報道が出た直後の記者会見で、田中は「私の真意をよく伝えておらん。もう、いらんことは一切言いませんよ」と弁明、その後はどんな質問にも口を貝のように閉じてしまった。しかし、通常国会のさなかでもあって、社会党が「待ってました」とばかりに、衆院予算委員会で「問題発言」として取り上げ、テンヤワンヤの騒ぎとなったのだった。

 その予算委員会で、田中は池田首相に「私が、直接、釈明の答弁に立つ」と言ったが、池田は「いや、君が出ればブチ壊しになる」と抑えて自ら答弁に立った。

 そして「田中政調会長の真意は、沖縄、そして小笠原の返還を前提条件に、仮に米国から憲法改正、再軍備強化などの要求を出された場合、それこそ大変なことになるというところにある」と、苦しい“助け舟”を出したのであった。

 一方の田中はと言うと、与野党がそろった予算委員会の理事会に出席、改めて「発言は遺憾であった」と陳謝、辛くもケリをつけることに成功した。

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