死にはいろいろな死がある。

| 心に残る家族葬
死にはいろいろな死がある。

あまり耳なじみのない学問かもしれないが、死と死生観を研究する学問、死生学(thanatology)を日本に広めることに多大な貢献をなした人物がいる。イエズス会の司祭で哲学者でもある、アルフォンス・デーケン(1932〜)だ。デーケンは、現代は「前向きに生きるコツ」など、「生」の重要性は説かれていても、「死」については覆い隠される傾向が強いことを挙げ、そうではなく、「死」までの時間を人が意識することで、それまでの自分の生き方を見直し、より充実した「生」を送ることを目指すべきだと述べている。

■アルフォンス・デーケンは死には4つの側面があるという

そのようなデーケンが言う「死」には、肉体的な死・社会的な死・文化的な死・心理的な死と、4つの側面があるという。

肉体的な死は、我々が恐れる、現実の死だ。そして社会的な死とは、社会との接点が失われ、他者とのコミュニケーションが途絶えた状態のこと。例えば、仕事を辞めてから何もせず、家族や友人とも連絡を取らず、自宅や高齢者施設でいつもひとりきりで過ごしているようなことが挙げられる。文化的な死とは、生活の中に文化的な潤いがなくなること。例えば、重篤な病にかかり、音楽も絵もない、無機質な病室で、医療機器に囲まれて一日中過ごさなければならないなど、誰もがいつか、体験させられる可能性があるものだ。最後の心理的な死とは、生きがいや生きる張り合いをなくした状態のこと。身体的には何の問題がなくても、毎日を無為に過ごすだけで、生きる意欲や喜びをなくしてしまっているなら、人は心理的には、死を迎えた状態になる。

■死は人にだけおとずれるものではない。例えば建物。

このようなデーケンの言う「死」からすると、「人」ではないものの「死」はどうなるのだろう。しかも、創建500年、1000年などの、日本の神社仏閣でもなく、ゴッホ(1853〜1890)や佐伯祐三(1898〜1928)のように、夭折した画家ゆえに、残された作品そのものが少ないことから、世界的なオークションにおいて高値で取り引きされる油絵などではない。いわゆる「廃墟」のことだ。

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