歴代総理の胆力「三木武夫」(1)「したたかさ」を物語る振る舞い

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歴代総理の胆力「三木武夫」(1)「したたかさ」を物語る振る舞い

 三木武夫の「したたかさ」について、かの百戦錬磨の田中角栄でさえ、天を仰いでこう言ったものだった。

「三木をやり手の年増芸者とすれば、福田(赳夫)も大平(正芳)も女学生みたいなものだ。三木がプロなら、福田も大平もアマということだ。太鼓、三味線の音が鳴り出せば、三木は呼びもしないのに飛んでくる。年増芸者ながら年も考えず、尻まで裾をはしょって舞台に上がり、客の前で踊ってみせる。しぶとい。しかし『芸』があるから、アレは生き残る」

 田中角栄が金脈・女性問題で退陣、その後継となったときの三木の“振る舞い”が、まずその「したたかさ」を物語っている。なるほど、「芸」に満ち満ちていた三木だったのだ。

 田中内閣がスキャンダルによる退陣だったことから、三木政権は自民党が世論の批判をかわすという狙いから誕生した。昭和49(1974)年12月、田中の後継総裁選定を党から委ねられた、時の椎名悦三郎副総裁が自民党の再建をかけて「神に祈る気持ち」で裁定、後継に指名したのが三木ということであった。三木が他の実力者より世論の批判のマトであった「金権」から、最も遠いところにいると思われていることで指名されたということである。

 この「椎名裁定」は決定まで曲折があり、椎名は極秘にこの作業を進めたが、この間、総理退陣はしたものの隠然たる影響力を持った佐藤栄作ら二、三人の実力者に、胸中を漏らしていた形跡があった。

 そうした中で、裁定の公表前々日には、椎名のなかでは明確に後継は「三木」が固まっていた。政界では、この手の情報が流れるのは光より早いのが通例だ。三木も、前々日には、すでに自分が裁定されることを知っていたのである。

 そしての裁定の公表を受け、三木が口にした“声明”が「青天の霹靂。予想だにしなかった」ということであった。

 しかも、後継になるや、ただちに自民党がいやがる政治資金規正法と独占禁止法のいずれもの改正を「私の理念だ」として掲げた。しかし、党内からはこの二つの法律の改正は、「世論受けを狙ったのは明らか」「いい子になりたかったのだ」の批判の声が大勢だった。

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