プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「邪道&外道」究極の成り上がりを体現した名タッグチーム

| 週刊実話

 初めてタッグを組んでから30年にも及ぶ邪道&外道。これだけ長く続いたチームは世界でもあまり例はない。その最大の武器は抜群のコンビネーションだが、相手を輝かせることにおいても天下一品で、まさに名バイプレーヤーなのである。

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 もともと熱心なプロレスファンだった邪道と外道。プロになるべくメジャー団体の入門テストに応募したが、特にスポーツ歴もなく、身体的にも際立ったものがない2人は、書類審査すら通らなかったという。

 そんな彼らを受け入れたのがTPG(たけしプロレス軍団)で、1988年、2人はここで練習生として出会うことになる。

 今ではイロモノと見られがちなTPGだが、当初は本格的に団体設立を目指しており、2人はアポロ菅原による指導のもと、都内道場でプロになるべく稽古を積むことになった。なお、のちのスペル・デルフィンも同じく練習生仲間であり、この3人とビッグバン・ベイダーが世に出るきっかけとなっただけでも、TPGの価値はあろう。

 結局、TPGは両国国技館でファンの大反発を受けたことを主因として自然消滅。それでも邪道と外道は関係者の支援を得ながら稽古を続け、’89年3月にオランダでプロのリングを踏むことになる。

 同年10月、FMWの旗揚げに参加した2人だが、’90年3月には新団体ユニバーサル・プロレスリングへ移籍。当時のリングネームは邪道、外道ではなく「クーリー“クラッシュ”SZ」と「ブルドッグ“パニッシュ”KT」で、この頃からタッグを組み始めるようになった(通称パニクラ)。

 ’92年にはリングネームを邪道、外道に改めてフリーに転向。2人そろってインディー団体を渡り歩くことになる。

「玉石混淆のインディーマットにあって、2人の動きのよさはこの頃から際立っていました。また、プロ意識も高かった。過激なデスマッチを売りにしていたW★INGのリングで、対戦相手の金村ゆきひろ(のちの金村キンタロー)が火だるまになったことがありました。

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