第1回 蘭玲(37) ★ちょんの間嬢だった過去を夫以外、誰も知らない

| 週刊実話

 2005年の摘発によって、色街としての役割を終えた横浜・黄金町。かつて250軒とも言われているちょんの間があった色街だ。

 その黄金町で働くのはタイ人やコロンビア人の娼婦たちが多かったが、中には中国人の娼婦たちもいた。そのうちの一人が、娼婦としての過去を消し、現在も日本で暮らしている蘭玲である。

 蘭玲は現在、かつての職場である黄金町から、電車で30分ほど離れた場所に暮らしている。現在、37歳になるというが、小柄なこともあり、ひと回りは若く見える。すでに20年近く日本で暮らしていることもあり、中国訛りはあるものの日本語はペラペラだった。

 そんな蘭玲はなぜ黄金町で体を売っていたのか――。
「出身は上海で、両親と暮らしていました。生活には困っていなくて、日本のアニメとか生活に興味があって日本に来たんです。売春を始めたのは、ただ単に遊ぶお金が欲しかったからなんです」

 日本で働く外国人娼婦といえば、貧しい一家を支える孝行娘というイメージがある。しかし、彼女は見事にその概念を覆してくれた。

「当時、私は新宿の日本語学校に通っていて、新大久保に住んでいたんです。今もそうですけど、そこには中国人が多く暮らしていて、そこで友達から『黄金町で働けばたくさん稼げる』という話を聞きました。あの時代、黄金町で働いていた中国人は、新大久保の中国人が多かったと思います。みんな黄金町のヤクザが手配してくれた車で、働きに行っていました」

 そこで、蘭玲は想像もしていなかった大金を稼ぎ出した。

「部屋の使用料として1日に2万5000円を払うのと、ママから仕事で使うコンドームを買ったのぐらいで、あとは自分の取り分です。そういえば、高かったのは、ヤクザから年末に買わされた8万円の門松かな。おもちゃみたいな門松で、普通に買ったら1000円もしないようなものでした(笑)。お客さんは、少ない時で1日に10人、多い時で20人ぐらいかな。一人相手にすると1万円をもらったから、1日平均で確実に10万円以上は稼いでいましたね。でも、そのお金でディスコに行ったり、洋服を買ったり、全部遊んで使っちゃいました」

 そんな日々を送る中、彼女の人生に大きな変化が訪れる。日本人男性と結婚したのだった。

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