実は心眼の使い手だった!?新選組の独眼竜「平山五郎」の生涯【四】

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実は心眼の使い手だった!?新選組の独眼竜「平山五郎」の生涯【四】

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実は心眼の使い手だった!?新選組の独眼竜「平山五郎」の生涯【三】

時は幕末・文久三1863年、浪士組の一員として京都に上洛した隻眼の剣術家・平山五郎(ひらやま ごろう)は、水戸派のボス・芹沢鴨(せりざわ かも)に従って壬生浪士組(みぶ ろうしぐみ。後の新選組)に鞍替えします。

副長助勤に就任した五郎ですが、壬生浪士組の内部では近藤勇(こんどう いさみ)率いる試衛館派との権力争いが繰り広げられており、いつしか「御公儀(幕府)の役に立つ」という本来の目的を忘れかけていました。

京都守護・松平容保。Wikipediaより。

そんな状態の中、京都守護職の松平容保(まつだいら かたもり。会津藩主)の目にとまり、晴れて壬生浪士組は「会津藩お預かり」として、市中見回りの正式任務に胸を張って京都を闊歩するのでした。

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