天才テリー伊藤対談「喰始」(3)谷啓さんに憧れて放送作家の世界へ

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天才テリー伊藤対談「喰始」(3)谷啓さんに憧れて放送作家の世界へ

テリー 喰さんが放送作家になるきっかけは何だったんですか。

 僕は子供の頃から映画が好きで、中村錦之助や大川橋蔵のチャンバラ映画、東宝の怪獣ものや「社長シリーズ」を楽しんでいたんですが、決定的だったのが黒澤明の「用心棒」。リアルタイムで見たんですが、今までに経験したことがないおもしろさで、ここで「なるほど、いちばん偉いのは監督なんだ」と気づいて、映画監督に憧れた。

テリー あの頃の映画少年はみんなそうですよね。

 で、今度は「ハナ肇とクレージーキャッツ」に出会うんです。映画はつまんなかったけれど、テレビで「シャボン玉ホリデー」とか見るようになると、最後に「作・構成/谷啓」ってクレジットが出てくるわけですよ。「えっ、谷啓って忙しいのに、こんなことをやっているのか」とすごく興味を持って、そこから毎週のように谷啓さんにファンレターを送ったわけ。

テリー へぇ!

 もう絶対に読むわけないと思っていたから、「今回のクレージーの映画もつまらない」みたいな辛辣な感想と一緒に、谷啓さん用のギャグを書いたり、それとは別に「谷啓に捧げる」というコメディーの脚本も勝手に書いたりしていた。

テリー ちょっと生意気だけど、すごい情熱ですね。

 その後、日大の芸術学部に入ったんですが、ある時、校内で「僕と一緒にバラエティーの勉強をしませんか」という永六輔さんの貼り紙を見つけたんです。

テリー 当時の永六輔さんは、「夢であいましょう」みたいな人気番組を手がける、超売れっ子作家ですよ。

 「原稿用紙400字詰め2枚、800字以内で何か書いて送れ」と書いてあって、周りに「お前がギャグが好きなのは知ってるから」と勧められたので、送りましたよ。

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