永遠のライバル!武田信玄VS上杉謙信の川中島の戦いを改めて振り返る【その1】

| Japaaan
永遠のライバル!武田信玄VS上杉謙信の川中島の戦いを改めて振り返る【その1】

日本中で戦国時代ブームが再び高まっているこの頃。戦国史上でも人気の高い合戦の一つが、「川中島(かわなかじま)の戦い」です。

戦国時代の1553年(天文22年)から1564年(永禄7年) の11年間に、甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名である武田信玄と越後国(現在の新潟県)の戦国大名である上杉謙信との間で、北信濃の支配権を巡って行われた数次の戦いの事です。

川中島合戦の武田信玄と上杉謙信像 Wikipediaより

そんな川中島の戦いがどういう戦いだったのかを改めて振り返るシリーズです。

喉から手が出るほど欲しい「北信濃」って?

まず、戦いの原因となったそして謙信が死守したかった「北信濃」とはどんな地なのでしょうか。ここは信仰を集める善光寺があり、経済的に大変栄えた土地でした。また、長野盆地が広がる肥沃な土地でもあり、米収穫高は当時の越後全土を上回っていたほどでした。

米のみならず、二毛作による麦の収穫もあり、川では魚も豊富にとれ、資源が豊かな土地でした。信玄の治める甲斐の地も、検診の越後もそこまで肥沃ではなく、石高が高くなかったので、2人とも北信濃は絶対押さえておきたい場所だったのです。

また、北信濃は越後にも甲斐にも通じやすく、松本盆地も近い軍事的な要所でもありました。

ピックアップ PR 
ランキング
総合
カルチャー