1600年の関ヶ原の戦いに勝利したことで日本の主導権を掌握し、天下人に上り詰めた「徳川家康」。徳川家の母体が三河の松平氏であることは有名だが、松平家の起源には今でも不明な点が多い。
今回は、天下人・徳川家康の起源である松平家の歴史を探ってみたい。
「松平家」の初代当主は「松平親氏(まつだいらちかうじ)」という人物で、新田源氏世良田氏の末裔で、戦に敗れ足利軍に追われていた。捕縛を逃れるために出家し「徳阿弥(とくあみ)」と名乗った親氏は、流浪の末に三河にたどり着く。三河国松平郷の領主であった「松平信重」は親氏を気に入り婿養子として家督を継がせたという。
しかし上述の物語は、後に家康によって粉飾されたものであるといわれており、信憑性は低い。
松平郷に伝わる資料「松平氏由緒書」では、親氏はただの流浪の旅人として書かれており、信重の後を継いだ親氏は近隣の領主の支配に成功し、松平城を築城。戦国大名としての松平家の礎を築いたとされる。
初代の親氏の嫡子、あるいは弟の2代目「泰親」は、同時代の史料にその名を確認することが出来ず、実在を証明できないため上述の歴史は想像の域をでない。