21歳という若さで非業の死を遂げた徳川家康の長男・「徳川信康」。信康の死の真相は今だに解明されていない。今回は信康の死にまつわる様々な説をご紹介する。
前回の記事
【前編】で記載した通り、信康の母親であり家康の正室「築山殿」は今川家の血を引いている。対して、信康に嫁いだ「徳姫」は信長の娘であり、織田家の人間だった。敵対関係にある家出身の2人の関係性は悪かったという。
徳姫は1576年に信康の長女・登久姫、77年に次女の熊姫を出産。しかし、男児に恵まれず、それを危惧した築山殿は側室を用意したという。
信康との関係も上手くいっていなかった徳姫は、自分に対する讒言や築山殿の密通の可能性などを父・信長に手紙で密告。事実を知った信長が、家康に対して信康の処刑を命じたとされる。