戦国大名朝倉氏最後の当主「朝倉義景」。結果的に一族は滅亡することになるが、その原因には当主・義景の気質が深く関わっていた可能性が否めない。
今回は【前編】に続き、優柔不断といわれた義景の行動を考察してみたい。
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優柔不断で滅亡? 戦国大名・朝倉家最後の当主「朝倉義景」の人物像【前編】 優柔不断エピソード①「上洛を尻込み」1565年に後の足利15代将軍「足利義昭」が義景を頼って越前に身を寄せる。義景は来訪を歓迎した。義昭は自身の将軍就任のために義景を伴う上洛を求めたが、義景は首を縦に振ることはなく3年余りが過ぎる。
結果的に義昭は義景を見限り、上洛の意思を示した織田信長の元へ去ってしまう。この義景の判断が朝倉氏滅亡の遠縁の一つであるといえる。